開通信は移転しました。新しいURLはhttp://blog.hiraki.jpです。


June 03, 2006

渋谷から その2

ゆうべは途中で寝てしまって失礼しました。
前の晩、朝まで小沢さんのCD聞いてたのがよくなかったかな・・・ってことはともかく。
これに懲りずにまたお付き合いくださいのこころまで〜

ご参考までに・・・。

「酒場百選」「酒場百選」
浜田 信郎

筑摩書房 2006-05
投稿者 yhiraki : 06:51 PM | コメント (0)

買っちゃった。

ozawabox.jpg

小沢さんの6枚組ボックスセット。
まあ、ボーナス近いし。
こういうのを病膏肓に入るという。
森や林をかけぬけて、行け行けどんどん、
明日のこころだぁ〜!

ご参考までに・・・。

小沢昭一全集「唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ」小沢昭一全集「唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ」
小沢昭一

コロムビアミュージックエンタテインメント 2003-07-23
投稿者 hiraking : 01:56 AM | コメント (0)

September 11, 2005

明治村から

B00077DAEY

ちょっと前に出てたCDだけど、買っちゃった。
紀伊国屋の2階のミュージックテイト(あれ?テイトムセンじゃなかった?)には、ちゃんと小沢昭一コーナーがあるんだ。さっすがー!
タイトル曲の「明治村から」は、ご存知愛知県犬山市の博物館明治村の村歌だって。
いかにも明治、という感じの哀感漂う曲調だけど、正直いうと、ちょっと「いかにも」が過ぎるかなあという気もしました。
併せて収録されている明治時代の流行歌はいいねえ。曲がもともと持っている哀感と小沢さんによって吹き込まれた今の空気とのバランスが絶妙だ。
メドレーの合間の小沢さんの語りも楽しい。

探したら、こんなニュースリリースが出てましたよ。レコーディング中の小沢さんの写真もあります。

博物館明治村 小沢昭一村長が歌う明治村オリジナル曲「明治村から」を来年2月にCD 発売
http://www.meitetsu.co.jp/news/pdf/041119.pdf
ここでいう「来年2月」って、今年の2月のことですから、念のため。

投稿者 hiraking : 11:28 AM | コメント (0)

August 03, 2005

散りぎわの花

ふらっと本屋に寄ったら、小沢さんの文庫本の新刊が出てた!
即買い。
ついでに東京人の落語特集も買いました。

投稿者 yhiraki : 09:49 PM | コメント (0)

June 19, 2005

小沢昭一がめぐる寄席の世界

4022579609

来週6月21日から小沢昭一さんが新宿末広亭の夜の部に出演されるということで、予習がてら買ってきた。
去年の12月に出た小沢さんと寄席演芸に造詣の深い12人との対談集。雑誌「論座」の連載をまとめたものだという。

寝る前にパラパラとめくっている程度だけど、ふと思ったのは、対談相手に小沢さんより年長の方が何人か混ざっていること。
いや、すごく失礼な話なんですが、小沢さんって、今年76でしょう。
お年のことはあまり言ってはいけないんでしょうけど、例の「小沢昭一的こころ」にしても、決していつまでも続くわけじゃないんだよなあ、と、ふと思ったりして。
すると、すぐに、いや、そんなことはない、小沢さんはいつまでもお元気だ!なんて自分の中で打ち消してみて、一瞬かなしくなる。
でも、小沢さんより年長の芸人さんがお元気で活躍されていて、この対談集の中でも、そうした先輩たちに対して、小沢さんは実に礼儀正しく、しかるべき敬意を払われているのがよくわかる。むろん、年少の人にも決してぞんざいな話し方はされない人だが。
小沢さんは、これまでの仕事で、数えられないくらいたくさんの、自分より年長の芸人さんの芸談を聞かれて、それをご自身の芸の肥やしとしてこられた方だと思う。
まだいっぱい、小沢さんが話を聞く相手がいるじゃないですか。そしてそんないい話を、これからもどんどん、ぼくらにも教えてください、なんてことを思った。
ちなみに、12人のうち、小沢さんより年長なのは、登場順に桂米朝、桂小金冶、神田伯龍の各師。
そういえば、この桂小金冶という人も、ぼくにとって、長い間よく分からない人だったんだ。小さい頃に見た「それは秘密です」が印象的で、その後はあんまり印象になくて。
桂っていう亭号がついているんだから、落語家さんなんだろうなと漠然と思っていたが、自分で落語をしばしば聞くようになって、寄席にも出てないようだし、どこかの協会に属しているということもないみたい。
よく、一時期テレビで売れっ子だったタレントさんが、あまりテレビに出なくなると、どこか体を壊したのかとか、亡くなったんじゃないかとか思われるという話があるでしょう。
失礼な話、ぼくもこの人はそうなのかなと思っていた。
本当に失礼しました。この対談を読んで、どういう人なのかがよくわかった。
「それは秘密です」なんかよりもずっと前、多分、ぼくらの親くらいの世代にはお馴染みのスターだったんだろうな。

4794964595

日日談笑―小沢昭一的人生

この本は先日、ブックオフでまとめて買ったうちの一冊。
同様に小沢さんの対談集だが、こちらのほうはテーマは寄席に限定されていない。
ところで、また見逃してシマッタなあ、という話になるが、この本にバルタバスという人と小沢さんとの対談が収録されている。
何者かと思うと、このバルタバスという人、「ジンガロ」という騎馬オペラの主宰者で、小沢さん、前にパリでこのショウを見て、一気に心酔したらしい。
「ジンガロ」って、ついこないだまで、木場公園の仮設劇場で公演してたやつじゃないか! 東京都現代美術館に行ったとき、なんだろうと思って壁の隙間から覗いたりしてたんだ。
これが小沢昭一大先生絶賛だったとは。
なかなかおいそれと見に行ける値段でもなかったようだが、これだけ小沢さんが誉めてるんだから、余程のことでしょう。やっぱり、見に行っておけばよかった、と言わせてください。

ジンガロ
http://www.zingaro.jp
(小沢さんのメッセージも読めます)

投稿者 hiraking : 10:18 PM | コメント (0)

June 16, 2005

小沢昭一的マニア!〜童謡、唱歌について考える〜

おなじみサラリーマンの宮坂さんのお噂でありますが、宮坂さんの会社の部長さんに、もうかれこれ6年も単身赴任を続けてるという人がいるそうなんですね。
その部長さん、週末はまめに自宅に帰っているそうなんですが、さすがに平日の夜はひとりですから、やっぱり寂しいこともあるんでしょう。会社の部下に声を掛けて、夜の街に繰り出す、なんてこともしばしばなんです。それでわれらが宮坂さんも、月に一度くらいは部長のご相伴にあずかっているそうなんでありますよ。

さて、その部長さん、若い連中を引き連れて、おなじみのスナックに参りますと、マイクを握って歌うのは、きまって唱歌、童謡のたぐいなのであります。
やっぱり60も過ぎますと、幼き頃への追憶、過ぎ去った時間への感傷が、長い単身赴任生活の軽いホームシックとあいまって、人の心を童謡に向かわせるんでありましょうかな。
朗々と童謡を歌い上げる部長さんの姿を横目に、宮坂さん、水割りを口に含みながら、そんなことをぼんやりと考えていました。
ところでその晩は、例の部長さんと宮坂さんのほかに、もう一人、宮坂さんの後輩社員の方が同席していたんですが、その方、なんと唱歌という言葉自体をご存知ないのであります。
確かに、今の子供たちは、めっきり童謡や唱歌というものを歌わなくなりました。学校の音楽の時間でも、ほとんど教えなくなったようでありますね。
私ども、戦前の小学生には、はるかな少年時代の思い出と、その頃口ずさんだ唱歌というのは、切り離せないものでありますが、まったく、昭和は遠くなりにけりですなあ。

上の話は私が書いたフィクションでありますが、ここに出てくるような部長さんには、数年前に小沢さんが出したCDなどをプレゼントすると、たいへん喜ばれるんじゃないでしょうか。

B00005NS93
夢は今もめぐりて〜小沢昭一がうたう童謡

B000068WCO
小沢昭一がうたう「童謡春秋しみじみ」

かく言う私も、この夏のお中元がてら、お世話になっているあの方に2枚セットで贈っちゃおうかな、なんて思っている次第であります。
ちなみに、この2枚ともムーンライダーズのくじらさんがアレンジと演奏で参加しているんですが、私、肝腎のライダーズの新譜をまだ買ってないんです。
ユリイカのムーンライダーズ特集号は買いましたが。あれも味わい深いものでしたな。
こんな話をしだすと、小沢さんから話題がどんどん離れてしまいますのでこのあたりにして、また明日も小沢昭一マニアのこころだァー!

投稿者 hiraking : 06:57 PM | コメント (0)

March 22, 2005

小沢昭一的こころについて考える

ここにきて、にわかに小沢昭一マイブームになっている。
と申しますのも、先日のリラクゼーションカプセルの話のときに、ストレスだらけのサラリーマンのお父さんのおかしみやかなしみを伝えようとして、ふと、小沢昭一的こころを思い出したのであります。
このあたりすでに、小沢昭一風味が入ってますな。

TBSラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という番組、みんな知ってるんでしょうか。知ってますよね。
1973年1月の放送開始というから、もう32年余り。ほぼ、ぼくの年齢と同じくらいの長きにわたって続いているわけです。
普段ラジオを聞かない人だって、一回くらいは、あの小沢昭一独特の語り口や、山本直純のお囃子を耳にしたことがあるんじゃないかなあ。
かく言うぼくも、この番組をもう何年も聞いていなかったように思う。
が、そういう問題じゃないんですね。小沢節やお囃子が、もう記憶の中にインプリントされていて、何かの拍子に不意に顔を出す。
といっても、昔だって、そんな熱心に集中して聞いてたわけじゃないですけどね。そもそも、そんな番組じゃないと思うし。
ぼくのイメージでは、あのお囃子が流れてくると、晩ご飯の支度をしている台所、あるいは夕暮れ時の車の中、という感じかな。
ぼくがまだ小さいころですから、富山の北日本放送ラジオで聞いていたわけです。
だいたい、夕方の6時前くらいの時間帯だったでしょうか。
台所で「おかあさん(あるいはおばあちゃん)、ご飯まだ?」とか、車の助手席で「おとうさん、うちまだ?」という、はるかな記憶と結びついているわけです。
今はこの番組、TBSラジオでは平日のお昼12時20分からの放送だけど、昔はやっぱり夕方に放送していたみたい。
やっぱりこの番組には、夕暮れ時のほうが似合う。
さて、先日、小沢昭一口調を意識して文章を書いてみようと思った折に、改めてこの番組や小沢昭一のことをWebで調べてみた。
番組のオフィシャルホームページは、そのときにも紹介した。

http://www.tbs.co.jp/954/ozawa/

そうか、ここからストリーミングで聞けるんだったな。そういえば、前にもこのページは見たことがあったが、すっかり忘れていた。
そのうち、こんなソフトを作っている人がいるのを知った。

http://www6.plala.or.jp/mting32/ozawalistener/

要するに、オフィシャルホームページからは1週間分の番組しか聞くことができないが、リンクはされていないだけで、TBSラジオのサーバーには過去1、2ヶ月分のファイルはそのまま残されている。それを探して1ヶ月分ごとまとめて聞けるようにするソフトなのである。
といっても、ストリーミングデータを保存できるわけではなくて、サーバーから削除されたものは聞けないのだが、それでも結構遡って聞けるし、何よりも、1日分ごとにいちいちファイルを開かなくていいから、非常に楽だ。
しかし、このソフトを作った人も、よく考えるね、こういうことを。
おかげで、この連休は、2月、3月分の「小沢昭一的こころ」を連続再生、小沢昭一漬けの毎日でありました。
頭の中から「宮坂薬局の宮坂お父さんが」とか「サラリーマンの宮坂さんが」とかいうセリフが消えないのであります。
そんな折、本屋に行ったら、新潮文庫から小沢昭一の新刊が出ていたので、早速購入した。

そういや、昔、新潮文庫で「小沢昭一的こころ」のシリーズが何冊か出ていたな。今でもあるのかな?
と思って見返しの著書一覧を見たら、小沢昭一の本はほかに1冊だけ。何冊か出ていたはずの「小沢昭一的こころ」の書名がない。もう絶版かよ。
ブックオフとかで探して揃えようと決意した次第なのであります。

投稿者 hiraking : 07:53 PM | コメント (2)

February 20, 2005

主よ、あわれみ給え

世田谷美術館でやっている瀧口修造展の企画で、高橋悠治のミニ・ライブがあるというので出掛けてきた。
演目は武満徹の「遮られない休息」、「閉じた眼」、そしてバッハの「マタイ受難曲」から「主よ、あわれみ給え」の3曲。
会場は美術館の展示室、瀧口のデカルコマニー連作「私の心臓は時を刻む」が展示してある部屋。

スタッフに紹介されて登場した高橋氏は、まず瀧口修造との出会いについて語る。
少年時代から詩誌で瀧口の詩を目にしていたこと、初めて直接会ったのは、いつかははっきりしないが、実験工房の演奏会で武満徹から紹介されたのだろうと思う、といったことなど。
1曲目の「遮られない休息」は、武満徹が瀧口修造にオマージュを捧げた曲。
この曲名は、瀧口と阿部芳文(展也)との詩画集「妖精の距離」に収められた一篇の詩のタイトルから採られている。
・・・って、歴史的な事実ばかり書き連ねてますね。すいません。
高橋氏は、瀧口の「遮られない休息」を静かに朗読すると、おもむろにピアノに向かい、武満の曲を弾き始める。
不意に最初のピアノの音が鳴り出して、虚を衝かれるような思いがした。
ぼくは音楽ファンとはいえないので、武満徹の曲もあまり聞いていないのだけど・・・。
この曲の第一楽章(って言いかたでいいのかな)は、「実験工房の音楽」というCDで知っていたけれど、2番、3番は今回初めて聞いた。
2曲目は、瀧口が亡くなった1979年の作品。むろん、瀧口への追悼の思いが込められている。「閉じた眼」という曲名は、ルドンの絵から採られたとか。そうか、そうだったのか。
瀧口の死に際して編まれた詩文集「雷鳴の頚飾り」に、この曲名と同じ、「閉じた眼」というタイトルで、武満徹も一文を寄せている。
高橋氏は、その一節を読んでから、再びピアノに向かう。
いま改めて、ぼくの手許の「雷鳴の頚飾り」を開くと、武満の文章の隣に掲げられている楽譜は、この曲の譜面なのか。
3曲目。
「マタイ受難曲」は、病床の武満徹が好んで聞いていた曲で、おそらく、生前、最後に耳にした曲ではないかという。
主よ、あわれみ給え。このアリアの歌詞を読み上げて、高橋氏はピアノに向かう。
アルトとバイオリンソロによる原曲を、高橋氏がピアノに編曲したもの。
この演奏が印象的だったので、きょう、CD屋さんに行って買ってきました。
「Yuji Plays Bach」を、さっきから繰り返して聞いているところ。

ちなみに、きょう2月20日は、武満徹の命日だそうですよ。

世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp

瀧口修造:夢の漂流物 同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

Yuji Plays Bach

投稿者 hiraking : 10:38 PM | コメント (0)

June 21, 2004

南海ホークスがあったころ

しかしゆうべはやたら蒸し暑かったね。
窓を少し開けて寝ていたのだが、どうにも寝苦しくて朝の4時過ぎに目が覚めてしまった。
しょうがないので今季初の冷房を入れましたよ。朝っぱらから。
いったん目が覚めるとなかなか熟睡には戻れなくて、5時からJ-WAVEをつけて、聞くでも聞かないでもなくウトウトしていた。
おかげで今日はいくぶん寝が足りないまま一日をすごしている。
さて、残念ながらホークスの連勝も11で途切れてしまった。
まあ、ずっと勝ってるわけにもいかないから、仕方ないけどね。
新聞などを見ると、福岡ダイエーホークスとしては、2000年の9月に9連勝したことがあるそうだ(って、ぼくもそのころにはホークスを見ていたはずなのだが、いい加減なものであんまり覚えていない)。
それ以上の連勝というと、南海時代の1965年に17連勝して以来だという。
ここで少し気になるのが、新聞の書き方が、例えば「39年振りの10連勝」か、それとも「初の10連勝」となっているか。福岡ダイエー球団としては初めてでも、ホークスというチームにとっては39年振りということだからね。
どうも最近、例の近鉄とオリックスの合併話もあって、うがった見方をしてしまうのだが、日刊スポーツ九州のような地元メディアでも「39年振り」という言い方をしているのに、読売新聞やスポーツ報知といった読売系のメディアが「球団初の」という表現をしているのが目立つ気がする。まあ、そんなにすぱっときれいに分かれるわけでもないけども。
それにしても、南海ホークスの17連勝というのもすごいことだ。
そのころのホークスがいかに強かったか。それも、1965年のホークスが必ずしも最強だったわけではなく、59年にジャイアンツを破って日本一になったあたりがピークとすると、そこからいくぶん力が落ち始めている時期に、17連勝なんていうすごい記録を作ってしまうのだから、当時のホークスの強さがわかるというものだ。
1950年代から60年代にかけては、ホークスの黄金時代だったといってよい。
なんて、訳知り顔で書いているが、むろん、受け売りの話である。
ここのところ、前に買ってそのままにしていた「南海ホークスがあったころ」を読み始めている。この本については、日を改めて触れていこう。

cover

投稿者 hiraking : 06:37 PM | コメント (0)

February 23, 2004

大阪廻り舞台

新野新著「大阪廻り舞台」(東方出版)を一読した。
帯に「私的芸能ものがたり」とある。本書は、大阪で放送作家として活躍する著者が、昭和30年代初頭から現在までに手がけた種々の仕事や身辺に起こった出来事を中心に、当時の芸能やスターにまつわる追想を交えて書き記したものだ。
いわば著者の半生記といってさしつかえないだろう。
3年前に出版された同じ著者による「雲の別れ〜面影のミヤコ蝶々」(たる出版)も同様の趣があった。こちらは2000年10月に急逝したミヤコ蝶々と公私共に付き合いのあった著者が、長年にわたる蝶々との思い出を綴ったものだが、ミヤコ蝶々の伝記というよりは、むしろ蝶々というスクリーンを通して著者自身の姿が浮かび上がってくるように思えたものだ。
その点では、今回の「大阪廻り舞台」は、著者の自分史のかたちをとりつつも抑制された筆で記されており、また当時の芸能や放送についての客観的な記述も多い。これは、前著がミヤコ蝶々の死に際して書き下ろされたのに対して、本書は新聞連載を基にまとめられたということにもよるだろう。
大阪キタの北野劇場の演出助手から大阪の芸能界でのキャリアをスタートした著者は、民間テレビ放送の興隆期にコメディーやドラマの台本作家として活躍し、さらにバラエティー番組の構成やラジオのパーソナリティー、テレビタレントと活動の幅を広げながらも、常に大阪の芸能、放送の現場で仕事をしてきた。
著者になじみのない関西圏以外の読者も、本書によって戦後の大阪の芸能史をひとつの視点から俯瞰することができるはずだ。
また、本書の記述から伝わってくるのは、著者の一貫したショウビジネス、舞台芸能に対する愛着であり、失われゆく大阪の芸能文化、放送文化への愛惜の念である。
と、偉そうなことを書き連ねたが、ぼくの大阪の芸能や放送に関する知識は、ほとんどが著者のエッセイや芸能評論によるものなのだ。
改めて残念に感じたことだが、本書の中には、著者が台本や構成を手がけ、あるいは自ら出演したテレビ番組の名前がちりばめられているのだが、そうした大阪制作のテレビ番組のほとんどを、ぼくは見たことがない。
つまり、いわゆる大阪ローカルのテレビ番組は、関西圏以外の地域では、東京だろうとその他の地方だろうと、視聴することがまったく困難なのだ。
番組制作の機能が東京のキー局に集中するようになり、長い不況もあって大阪制作の番組が衰退していく状況を著者は嘆く。
が、一方で著者が落語家の笑福亭鶴瓶と共に続けているインターネットラジオの試みは、放送エリアの限定やキー局、ローカル局といった旧来の放送システムの枠組みを変えていく可能性を秘めている(いまだ可能性に留まっているのが悲しいが)。
願わくは、本書からも垣間見える著者の魔力、いや魅力が、大阪ローカルという枠を超えて全国、全世界に届かんことを祈る。
ところで今日、2月23日は著者の69回目の誕生日。いつまでもお元気でいてください。

投稿者 hiraking : 06:50 PM | コメント (0)