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January 07, 2007

白河から

今年の初生落語。
「正月丁稚」桂二乗
「動物園」桂米二
「二人ぐせ」桂出丸
「たち切れ」米二
仲入り
「初天神」米二

* * *

第6回京の噺家桂米二でございます
会場: 江東区深川江戸資料館
スケジュール: 2007年1月7日 14:00 〜 16:30
住所: 〒135-0021 東京都江東区白河1-3-28
電話: 03-3630-8625 ファックス: 03-3820-4379

投稿者 yhiraki : 04:36 PM | コメント (0)

October 15, 2006

浅草から

三語楼改め
六代目柳家小さん襲名披露興行
浅草演芸ホール十月中席
10月15日昼の部の覚え書き

前座 柳家緑太 「平林」
落語 鈴々舎風車 「権助魚」
落語 柳家さん福 多分「湯屋番」のまくら
俗曲 明石寿々栄 「すててこ」「鬢のほつれ」「お座付三下りさわぎ」等
落語 鈴々舎馬桜 「子ほめ」
落語 柳亭小燕枝 「無精床」
キセル漫談 ひびきわたる
落語 柳家小里ん 「粗忽長屋」
落語 柳亭市馬 「道具屋」
漫才 ロケット団 ラーメンの作り方をスープを取るところから食べるところまで振りつきでできないとコンビを解散するぞというネタ。熱演。
落語 林家いっ平 小噺を「ちいさい秋みつけた」のフレーズでつないでいくもの。客に受けないと袖でチェックされていて三平を継げないかも、という自虐。でもあまり受けない。
落語 春風亭小朝 あえて落語のネタはやらず、女性が男性に女っぽく見せるためのコツ、とか、おばちゃんは年を取っても女っぽくいよう、というようなお喋りなのだが、これが場内バカ受け。休日の浅草ということを考えてのことか。さすがと唸る。
マジック 花島世津子
落語 入船亭扇橋 「弥次郎」そこが畜生のあさましさ、でサゲ。
仲入り
口上 舞台下手から市馬、正蔵、さん八、六代目小さん、扇橋、金馬の順。
襲名の口上を何度も見ているわけではないのだが、誰かが口上を述べる際に一緒にお辞儀をする人としない人がいるのは、どういうふうに決まっているんだろう。序列の上下とか、一門かどうかとか、そういうことなのか?
さん八師がさるやんごとなきお方からの伝言をその方の声色を使って代読していた。
漫才 涼風にゃん子金魚 スイートホームネタ。
ゲスト? 山田隆夫 これは番組表にはなかった。笑点と同じ着物で登場。山田隆夫は鈴々舎馬風師の弟子でもあって、鈴々舎鈴丸という名前もあるそうだ。弟子といってもおそらく有名人コースみたいなものだろうが。そういや先日、鈴本に馬風師主任の興行を見に行ったときも、やっぱり山田隆夫が出ていた。まあ落語をするわけでもなんでもないんだけど、こういう人は出てくるだけでお客は喜ぶんでしょう。
あれ?今日は当の馬風師匠が出てこないね。番組表には名前があったんだが。
落語 林家正蔵 こぶ蔵だの松村だのと間違われるだの、電車の降りしなにオーラがねえなと言われただのというまくらは、もう何度か聞いた。ネタは「味噌豆」。
落語 柳家さん八 北朝鮮ネタ、皇室ネタ。昭和天皇の園遊会に先代小さんが招かれた時の話を、二・二六事件と絡めて。
紙切り 林家正楽 まず相合傘、それからお会式?、町火消し、あと何だっけな。
落語 柳家小さん 「短命」
正直言って、感想を書きにくい。要するに上手いということなんだろうが、ツッコミどころがない。それはそれとして、聞いていて、あんまりご本人の人間味みたいなものを感じないのだ。いや、だからといって、それが落語家にとって悪いことなのかどうかも、ぼくにはよく分からないのだが、一緒にお酒を飲もうと楽屋口で待っていると、すいっと身をかわされて、中野、立川、八王子と追いかけていくうちに、結局高尾まで来てしまったというような趣がある。終点の高尾では、鎧を外してお酒を飲んでいただけるのだろうか。
それは多分、この人があまりこれまでテレビに露出していなかったせいもあると思う。
また、最近出したという著書を読めば、印象も違ってくるのかも知れない。
まあ、偉そうなことを言っておいて、ぼくが意識して三語楼=新小さん師の落語を聞いたのは、まだ2、3度しかない。寄席に行けば、これからいくらでも六代目小さんの名前を目にすることになるのだろうし、おそらく、そのうちにぼくの見方も変わっていくに違いない。むろん、師自身が、これからどんどん変貌していくのだろう。

投稿者 yhiraki : 04:41 PM | コメント (0)

October 07, 2006

錦糸公園から

すみだまつりの下町寄席見に来たら抽選会で色紙当たっちゃった

色紙左から、入船亭扇橋、春風亭美由紀、前座さんの柳家ごん坊、林家時蔵の各師。
ちなみに演目は、時蔵師は「しわいや」、扇橋師は「道具屋」。前座さんは座布団返しだけで出番はなし。
前の出し物が15分ほど押して始まったが、きっちり予定時刻に終わらせる。さすが噺家さんだなあと思う一方で、ちょっとくらい押したっていいじゃないのと思う私は貧乏性。
すみだまつりの寄席は今回初めて見たけど、時蔵師は毎年出てるのかな?抽選会の仕切りを聞いていたらそんな感じ。

投稿者 yhiraki : 04:12 PM | コメント (0)

September 07, 2006

笑いのハイスクール・爆笑開校式 その3

小沢さんのことに触れたついでに、からっぺたんずの後に出てきた芸人たちを飛ばして、先に小沢さんの特別講義の覚え書きをしておこう。
「ハイスクール」の「開校式」というくらいで、今回のイベントは全体に学校のノリになっている。司会の奥山氏も学生服姿。その他、時折黒子役で顔を出す放送作家諸氏の格好も学ランだったりセーラー服だったり(女性作家もいる。かなり無理のあるセーラー服だったけど)。で、小沢さんはその開校式の特別講師というわけ。
前回も書いたように、幕が上がると、小沢さんは舞台のかなり後ろに突っ立っている。ベージュ色のスーツ姿。おもむろにツカツカと歩き出し、無言のまま演台に立つと、水差しからグラスに水を注ぎ、グラスを掲げて「ここにお集まりの方だけの健康を祝して」。
そんな感じで、きわめてマイペースに特別講義が始まった次第。

あとは、ぼくの記憶のまま・・・。
病気をすると年をとるのが早い。健康は健康なうちに気をつけなければならない。
なんとかマキコが荒川強啓のラジオで、安部晋三は腹話術の人形にソックリだと言っていたのを聞いて、腹をかかえて笑った(ちなみに、この日の奥山氏ともうひとりの司会は、デイ・キャッチ!のアシスタント、坂本咲子氏)。
この話も腹話術を知らないと分からない。敗戦後のヤミ市で腹話術の人形を買った。腹話術の芸を覚えて稼ごうと思ったが、安かったのですぐ壊れた。だから、腹話術との付き合いは長い。
小泉さんもあの人をかかえて腹話術をすればいいのに。プレスリーのマネをするくらいなら、小泉劇場の最後の出し物として、
「ボク、靖国神社行く」
スローペースだった小沢さんの話も、このあたりからエンジンが掛かってきた。
日本の芸能の元祖は、古事記に登場するアメノウズメノミコト。天岩戸の前でストリップを踊った。その人が祭られている神社が、伊勢の近くにあるのだが、なんという所だったか・・・。とか言いつつ、浪花節を唸りだす小沢さん。そのうちに客席から拍手が。小沢さん曰く「まだ歌うの」。そうしてさんざん歌った挙句、その浪花節の歌詞の中に、アメノウズメを祭っている神社のある地名が出てくるんだ。要するに、横山ホットブラザーズのお約束のネタみたいな感じ。でも、ぼくの記憶はこれが限界。浪曲も知らなければ、その神社のことも知らないから、その町の名前を挙げられない。いま、この覚え書きをしようとして、ウェブを検索して、それらしい神社や町の名前を探してみたけど、やはり定かでない。さすがに浪曲の歌詞をウェブサイトに掲載しているような奇特な人はいないもんだね。
日本の芸能の元祖がもうひとつ、海彦と山彦の兄弟ゲンカ。潮の満ち干を自在にできる玉を使って山彦の軍勢を負かした海彦は、それから毎年の敗戦記念日?になると、負けた山彦に溺れるさまをさせた。こんなふうに、負けた者が強い者にヨイショするのが芸能の起こり。日本だってアメリカにヨイショしてる。
江戸時代の身分制度は士農工商。昔は米が基本だったから、新聞にも「豊作」とこんなデッカイ活字で出ていた。今の「清原」とおんなじくらい。
米を作る農。米を作るための農具を作る工。そしてできた米を流通させる商。士はなんにもせずにイバっているが、有事になれば守ってやるという。では、その米作りの体制からハミ出した者は、お正月になると、今年は豊年だといって祝って歩く。ただし豊年にならなくても責任は取らない。これは今の芸人も同じかな。
「おめでとうさまと、祝い・・・(歌詞が聞き取れなかったので失礼)」と回っていた門付けの万歳。これが今の漫才になった。「ありがとうございましたー」なんて引っ込むやつ。
かつては芸人が多く住んでいた町があった。吉原の近くのなんとかという町がそうで、七代目団十郎もそこから顔を隠して芝居小屋に通ったとか。
今の新宿高島屋のあたりもそういう町だった。今でも天竜寺という寺がある。「はっこめ」という芸。ほうきを持って家の玄関先で「はっこめ、はっこめ、はっこめよ」。ただのほうきだと格好がつかないから、柄の先に赤いリボンをつけたほうきでもって。今では高島屋がはっこめだ。
芝新網町。かっぽれ。阿呆陀羅経は祭文、お経から来ている。お経の話からお寺、永六輔の話に。永さんの実家のお寺は、お父さんが亡くなった後は永さんのお兄さんが住職を継いでいたが、そのお兄さんも弟さんも亡くなって、ここだけの話、永さんが住職をしているらしい。やたら、ここだけの話を強調する小沢さん(それなのにブログに書いちゃマズイかな)。永さんのお父さんは立派な人だった。俳句も息子より上手い(永さんも小沢さんも「東京やなぎ句会」のメンバー)、だって。
そのお父さんの句「浅草や酔えば女は足袋を脱ぎ」。
物売りの声。「あさりー、しじみ。多摩川のしじみ」。昔は多摩川でシジミが取れたんだ。しじみ売りの後から、小沢少年「あっさり死んじまえ」。はさみ研ぎ。花屋ははさみをカチカチ。いわし売り。関西では「いわし、手て噛むいわし」。
昔の芸人は、朝炊いたお米が残っているお釜を質に入れて、三味線、太鼓を借りる。仕事を終えるとお釜を請け出す。
芸はなんのためにやるか。お金を稼ぐため、というのはバカにできない。人より面白くと工夫する。昔は万歳もいっぱいいた。
最後は、小沢さん、今日はハーモニカは忘れたと言って(えー?)、阿呆陀羅経を歌って、幕。
なお、小沢さんの阿呆陀羅経をお聞きになりたい方は、CD「唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ」をお買い求めください。

投稿者 hiraking : 07:39 AM | コメント (0)

September 05, 2006

笑いのハイスクール・爆笑開校式 その2

飯を食いに外に出て、帰ってきてテレビをつけたら、渥美清の特集をやっていた。
生い立ちから死まで、ゆかりのある人たちのインタビューと当時の記録でたどる番組。
ずるずると最後まで見てしまったのは、生前の渥美清を知るひとりとして、もしかすると小沢さんのインタビューもあるんじゃないかな、というかすかな期待からだったのだけど・・・。やっぱりありませんでした。
まあ、そうだよね。基本的には早坂暁氏、そして、特に「男はつらいよ」以降は山田洋次氏のインタビューを中心に構成されていたように思う。
昔の浅草時代の話はやっぱり興味深いな。ただ、喰い足りないと思ったのは、関敬六のインタビューがなかったこと。若い頃の渥美清を語るうえでは、絶対に外せない人だと思うんだけど。この番組を制作していた時には、もしかすると、もうあんまり具合がよくなかったのかな。

小沢さんの対談集「日日談笑」に、関敬六と井上ひさし、そして小沢さんによる渥美清追悼の鼎談が収録されている。今回の番組にも、この鼎談のエッセンスが少しあってもよかった。要するに、ぼくは、俳優・渥美清よりも、むしろコメディアン・渥美清のことをもっと知りたかったというわけだ。
結局、関敬六の舞台も、ぼくは一度も見ないままだった。さっさと自転車飛ばして浅草に見に行っていればよかったんだ。
人は死ぬから、生きてるうちにどんどん見ておかないと。と思って、小沢昭一の名前を出演者の欄に見つけたら、いそいそと足を運ぶ。
そういえば、いま書きかけの「笑いのハイスクール」の話、まさにその公演の当日に、関敬六の葬儀が行われていたんだ。小沢さん、行ったのかな、行けなかったのかな。
小沢さんの特別講義では、関敬六の死のことは、おくびにも出さなかった。
幕が開いて、舞台の後方で憮然とした表情で立っている小沢さんの姿を見て、そのたたずまいが妙に可笑しかったのと同時に、なんとなく、複雑な思いがした。これは、ぼくの考えすぎか。

投稿者 hiraking : 01:28 AM | コメント (0)

July 18, 2006

大銀座小沢昭一的祭 その2

いやはや、こんな調子で思い出しつつ書いていったら、いつまで経っても終わりそうにないですが。だってまだ、小沢さんの話、冒頭も冒頭ですよ。
そもそも、今回の小沢さんの話には、ちゃんとタイトルがついていまして、題して「小沢昭一の吉原へ御案内」。
小沢さんは、今回、春風亭小朝さんから大銀座落語祭への出演を依頼されたとき、江戸の吉原の話をしてほしいと言われたそうです。小沢さんそれを聞いて、いくらなんでもおれはそんなに古くないよ、だって。
落語の廓噺って、今のお客さんにはなかなか理解してもらうのが難しいそうですね。噺の背景も、出てくる言葉も、われわれにはすっかり縁遠いものになってしまった。だから、廓噺をするときは、噺のまくらでしっかり説明しておかないと、お客さんがついてこないのだとか(これは円菊さんが言ってたんだっけな?)。
ともあれ今回の小沢さんは、休憩後に控えた二席の廓噺に向けて、入船亭扇遊さん言うところの、最高のまくらということになった次第です。

東京にもかつて遊郭がありました。吉原、千住、品川、亀戸、亀有、小岩、鳩の街・・・。目蒲線の武蔵新田というところにもあったという。
小岩の「東京パレス」は、もとは進駐軍のための慰安所で、時計工場の女子寮を接収して遊廓としたもの。入口の正面に「検梅所」なるものがあって、それを見ると、小沢さん、なんだか安心したんだって。東京パレスには進駐軍用だった名残りにダンスホールがあって、そこで女の子と踊りながら、交渉が成立すると、女子寮の中に消えていったのだとか・・・。
赤線というのは、警察がその地域を赤鉛筆で囲ったところから来ているんですね。
そんな赤線地帯も、昭和33年3月31日の売春防止法の施行とともに消えました。
ところで小沢さんは幼少の頃から「売春」という言葉に非常に興味があったそうで、「売春」って何だろう? 当時の子供にできることは、辞書を引くことくらいしかない。さっそく辞書で「売春」を引くと、「春をひさぐこと」。これでは何のことだか分からない。念のためと「春」を引くと、「冬の後、夏の前」。ただし、最後のあたりに「春をひさぐ」の用例があって、意味はと見ると、「売春を見よ」。
その後、小沢さんは吉原大学で売春の理論と実践について学ぶことになるわけですが・・・、いえ、もう実践の方はすっかりで、今は理論一辺倒ですか?
小沢さんが吉原に通うようになって、吉原神社の古い石碑に彫られている銘文を読むと、奉納者の名前に添えて「新吉原・・・」とある。新があれば古もあるのか、と疑問に思って調べると、これがあったので、かつて古吉原というところがあった。
古吉原というのはどのあたりだったかというと、ここ銀座から地下鉄で2、3駅行った日本橋。ここを降りて左に行くと・・・。いや、左に行くとお堀にぶつかって皇居じゃないの。そんなところに遊廓があっちゃいけない。
小沢さん、うっかり日本橋を左に曲がったようなふりをして、これは話を皇族ダネに持っていくためのフリですね。嫁と姑のいさかい、あんなのはどの家だってある話じゃないですか。嫁は今、海外に行ってるんですか? しかしおとっつあんのほうも、海外に行ってもあまり好きにしゃべらせてもらえなくてかわいそうですね。ここで天皇陛下のマネ。「わが国の、過去の歴史に・・・、永六輔です」。
確かに永さんと声似てる。ただし話のスピードは3倍速くらい違いますが。永さんと天皇陛下は年も一緒なんだって。ということは、小沢さんのいくつ下になるのかな?
小沢さんの世代には、天皇が自分より年下というのは、やはりピンとこないようで、天皇といえばどうしても前の人、要するに昭和天皇。だけど、園遊会に招待されたこともないので、一度も昭和天皇と言葉を交わす機会はなかった。もし園遊会に招待されていたら、どんなふうに声を掛けてもらったか。
「売春のほうは、やってるの?」

投稿者 hiraking : 05:57 PM | コメント (2)

July 17, 2006

大銀座小沢昭一的祭

会場、銀座ヤマハホール。実はここは初めて。エレベーターで7階に上がると、思っていた以上の広い空間に驚く。銀座のビルの中とは思えない。
開演前から場内に度々お囃子の音が流れる。客入れの音楽のようなものなのか・・・。
さあ、照明が暗くなって、幕が左右に開く。
ステージの上に高座。名ビラは「随談 小沢昭一」。
出囃子は、やはり「明日の心」。が、少し様子がおかしい。三味線の音が途中でつっかえる。小沢さんも立ち止まって少し苦笑か。
いきなり余談だが、この曲は三味線で弾くには難しいのだろうと思う。特に、最後の部分。チャチャッチャーン、チャチャチャチャーン、チャンチャンチャンチャーン、という、チャチャチャチャーン、のあたりは、バチが追いつかないのか、どうしてもそこで調子があやしくなる。去年の末廣亭の高座では、そこのところは上手く曲をアレンジしてかわしていた。チャッチャーッチャ、チャーッチャチャッチャ、チャンチャンチャンチャーン、というふうに(こんな書き方でどこまで伝わるかな)。

そういう意味では、今回の出囃子は、正攻法で迫って、あえなく玉砕ということか。
小沢さんは白の着物姿で涼しげ。粋!
高座には、見台、膝隠し。机の上に、湯飲みと扇子、そして話の内容を確認するためか、料理屋の品書きのようなものが見える(ただし、小沢さんは話の途中でそれに時折目を落とすことはあったが、読むようなことはなかったことを付言する)。
小沢さんの声は軽やか、言いよどんだり、つっかえたりすることもほとんどない。調子がよさそうだ。正直、去年の末廣亭で二度聞いたときよりもいい。
あとは、ぼくの記憶にまかせて、思い出すまま覚え書き。
銀座の柳が雨を含んで美しいですね。で、歌いだしたのが「東京行進曲」ですか。
昔恋しい 銀座の柳〜
昔恋しい、ということは、この歌が流行った昭和4年には、銀座には柳並木がなくなっていた(小沢さんは震災で銀座一帯が焼けたから、というニュアンスで言われていたけど、実際にはそれ以前の車道拡張で撤去されたらしい。まあ、どのみち丸焼けになるのだから同じことだけど・・・)。それが、この歌のヒットによって、再び銀座に柳が植えられる。
歌うは「銀座の柳」。植えてうれしい 銀座の柳〜。これは昭和6年の歌。
しかし再び植えられた柳並木も、今度は空襲で焼けてしまった。
敗戦後、みたび銀座に柳が植えられたという歌を、小沢さん歌ってたんだけど、その曲の名前は、何だったんでしょう。すいません、私の調査が及びませんでした。確か昭和22年の歌と言ってなかったかな・・・。
小沢さんが言いたかったのは、歌謡曲もバカにしたものじゃありませんよ、ということで、こうやって銀座の柳の変遷を歌でたどることができるのです。
小沢さんが何か一節歌うたびに、客席から拍手が。でも、それを遮って小沢さん、もっと歌いたいの。
このヤマハホールから、並木通りの方に入ったあたりに、かつて金春演芸場という寄席があって、中学生時代の小沢さんは、たいそう入り浸っていたそうですが。
そこで聞いた○○寅子という音曲師(名字が出てこない。この人の名前は小沢さんの本で見たことがある気がする・・・)。音曲を演る人は小粋なほうがいいんだけど、この人はいかつい感じの人で。それでも「深川」などをいい調子でやってましたよ、と「深川」を一節。
ところでこの人、寅子といいますが、女じゃない、男です。昔は男で名前に「子」のつく人も結構いた。三木のり平さんもそのひとりで、本名は田沼則子(ただし)という。のり平さんは「子」のつく名前だったおかげで、役所の人が名簿から見逃して、戦争に行かずに済んだとか(本当?)。だから、これから子供や孫に名前をつける人は、「子」をつけるといいですよ。また、きなくさくなってきましたからね・・・。

投稿者 hiraking : 04:07 AM | コメント (2)

July 16, 2006

銀座から

小沢昭一来る!詳報待て!!
投稿者 yhiraki : 01:43 PM | コメント (0)

October 14, 2005

日々是好日 映画俳優・小沢昭一 「大当り百発百中」の巻 その2

前回のお話は、映画「大当り百発百中」のストーリーを紹介しているところで終わってしまった。
この映画、ぼくはもちろん主役の小沢昭一さん目当てで見に行ったのだけど、小沢さんや前回も紹介した加藤武、松原智恵子といった主なキャスト以外に、ほとんど名前くらいしか知らないような昔の喜劇役者が現役バリバリで動く姿を見ることができたのは、思わぬ儲けものだった。

例えば、小沢さん扮する及川の上司、イースタンレコードの文芸部長を演じるのは、由利徹。由利徹って、あのオシャマンベの人?
というか、それくらいの知識しかない。まだ生きているんだっけ?と調べたら、99年に亡くなっていた。そういえば、そうだったか。
東北なまりにちょび髭の姿は、今でいうと、ちょっとマギー司郎のキャラとかぶる感じかなあ。話の展開の途中で不意に姿を見せて、小沢さん扮する及川に作詞の締め切りを迫る、飄々としていて、それでいてちょっとしつこい、トリックスター的なキャラだ。
が、この映画の中の由利徹は、例のオシャマンベとかカックンとかいうギャグを見せるわけではない。正直いうと、ぼくは由利徹といえばオシャマンベの人、という程度の認識しかなかったから、この映画での由利徹の喜劇的な存在感と、自分の中のシンプルな由利徹イメージとが合わない。
一発ギャグのフレーズはわかりやすいけれど、それだけで片付けてしまっては、その人の一面しか見ていないことになる。特に昔の人になればなるほど、そういう片付け方をしてしまいがちなのだろうが、気をつけないと、と思う。
由利徹は1921年生というから、この映画の当時は40歳か。脱線トリオとして人気者だったころらしい。
脱線トリオからは、南利明も出演している。ヤクザの情婦を撮影する写真家の役だ。
由利徹はまだ、晩年までマスコミでときどき顔を見せていたように思うけど、この南利明って人はほとんど知らないなあ。
唯一知っているのが「ハヤシもあるでよ」っていうオリエンタルカレーのCMか。もちろん同時代で見たわけではなくて、雑誌とかテレビの懐かしCMみたいな企画で知っただけだけどね・・・。
この映画では、軽妙な名古屋弁を駆使して、テンポよく、かつデレーっと女の子たちにからんでいく、いい味を出していた。
由利徹と同じくらいまで生きていたようだけど、この人、晩年はどんな活動をしていたのだろう。不勉強にして知らない。

由利徹さん肝臓がんのため死去(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/jinji/1999/seikyo990521.html

オリエンタルCM集(「ハヤシもあるでよ」のCMが見られます)
http://www.oriental-curry.co.jp/cm2.html

投稿者 hiraking : 01:43 AM | コメント (0)

September 10, 2005

末廣亭から

投稿者 yhiraki : 01:48 PM | コメント (0)

July 04, 2005

小沢昭一的末廣亭ふたたび その3

書きかけだった末広亭のご報告を続けることにします。
「ニュース速報」ということで、きょうの宝塚記念の結果を報告し出した小沢さん。
その日の宝塚記念は、断然人気のタップダンスシチーがなんと7着、11番人気の伏兵スイープトウショウが優勝という波乱の結果。もし三連単で買っていれば大もうけ。
競馬好きの小沢さん、この話を言いたくてたまらなかったんでしょう。
ところがワタシは、小沢さんと違って競馬は全くわからないの。

上に書いた、どの馬が何着という結果も、翌日の日経を引っ張り出して書き写している次第でありまして、もちろん小沢さんは、ちゃんと馬の名前を挙げて説明されてたんですが、申し訳ないけど、ぼくの頭の中は素通りです。
どうやら、これはぼくだけのことじゃなかったみたいで、この日、小沢さんがいくら宝塚記念の結果を熱く語っても、お客はあんまり食いついてこないの。
反応薄の客席の様子を見て取った小沢さん、しぶしぶ競馬の話題は引っ込めました。
いよいよ本題に入るわけですが、その日、小沢さんの前の出演は、入船亭扇遊師匠でした。
戦前の寄席に、亭号は違うけど、同じ扇遊という名前で、立花家扇遊という人がいたという。
噺家ではありません。いわゆる色物の芸人さんです。
寄席の番組表には、「尺八 扇遊」と書いてあったそうですが、もちろん、すぐそこの歌舞伎町でよくある尺八ではありません。
この扇遊さんという人、高座に上がると、無言のまま尺八を取り出し、おもむろに磨き始める。つまり、尺八を吹くのではなく、拭くわけですな。
外側だけじゃなくて、管の内側まで、細い柄の付いたブラシのような道具で掃除する。
これでもかというくらいに丹念に磨き終わって、ようやくここで演奏が始まるのかな、と思うと、今度はもう一本、別の尺八を取り出して、また同じように丁寧に磨き始める。
その所作がどうにもおかしかったのだという。
それで、結局、最後まで尺八は吹かないのね。それでいて「尺八 扇遊」。
この扇遊さんという人については、前に紹介した「小沢昭一とめぐる寄席の世界」に収録されている立川談志師との対談でもちょこっと触れられている。
というか、小沢さんの別のエッセイでも、この人について読んだ記憶があるのだけど、どういうわけだか、いくら探してもその文章が見つからなくて困った。
ともあれ、若き日の小沢さんに強烈な印象を与えた芸人さんであることには間違いない。
小沢さんの語りは、空襲警報下の銀座の金春という寄席で、一度だけ扇遊さんの尺八の音を聞いた思い出、そして東京大空襲の後、奥さんと手を取り合って倒れる扇遊さんの遺体が見つかったという話へと続く。
最後に小沢さんは、そのとき金春で聞いたという軍歌「戦友」をハーモニカで演奏して、お時間という次第。
ちょっと、ほろ苦い昔語りだったか。
ちなみに、小沢さんの次は紙切りの林家正楽さんの出番だったんですが、最初黙ってハサミを拭いてました(拭き終わると、会場から「もう一本!」の声あり)。
ついでにトリの柳家小三治師匠も扇子を拭いてました。

投稿者 hiraking : 07:30 PM | コメント (0)

June 29, 2005

小沢昭一的末廣亭ふたたび その2

末広亭のサイトを見ますと、トップページにこんなお知らせが。
「勝手ながら28、29、30日を昼夜入替とさせていただきます。なにとぞよろしくおねがいいたします。」
小沢さんの出演も今日、明日の残り二日間。昼夜入替もむべなるかな、というところです。
が、今日は久しぶりの梅雨らしい雨もよう。多少は、客足も落ちるんじゃないかなと期待して出かけてみたら、おんなじような期待でやってきた人ばかり、ということにもなりかねませんから、軽々には申し上げないことにいたします。
それでは、小沢昭一的末広亭ふたたび、のお話の続きです。

昨日も申したとおり、今回は前座さんからトリまで全部見せていただいたわけですが、順番に頭から覚え書きしていくと、小沢さんにたどり着くまでに書いているほうが息切れしてしまいますので、間をすっ飛ばして、いきなり小沢昭一登場の場面からのご報告です。
おなじみ「明日の心」のお囃子が鳴り、万雷の拍手に迎えられた小沢さん。
開口一番、「ニュース速報」。
いったい何事かと思えば、「長新太さんがお亡くなりになりました」。そういえば今朝、そんなニュースを見たな。
続けて、「本日の宝塚記念は・・・」
小沢さん、かなり競馬に入れ込んでいるらしい。毎週金曜、土曜は深夜まで競馬新聞とにらめっこ、検討に余念がないそうでありますよ。
あれは先月の28日土曜日、すなわち日本ダービーの前日でありますが、TBSラジオの「土曜ワイド・永六輔その新世界」に小沢さんがゲスト出演されてました。
小沢さんが生出演するっていうので、私、わざわざ近所の公園にポータブルラジオを持ち出して聞いてました。だって、マンションの私の部屋は全然AMラジオが入らないんですから。
さて、お昼のニュースが終わって、午後のお客様のコーナー。「話の特集」の矢崎泰久さんと共に登場した小沢さん、むろん、話題は翌日の日本ダービーでありますが・・・。
「ダービーだからって特別なことは何にもないの。いつものレースとおんなじ」「馬の走る姿が美しいとか、そんなの全然興味ないの。ギャンブルなんだから、当たればいいの」(意訳)
小沢さん、競馬ファンは間違いないようですが、かなり特殊なスタイルのファンのようです。
余談ですが、土曜ワイドの時の小沢さん、ぶっきらぼうな喋り方で、なんだか機嫌悪そうな感じでした。
「小沢昭一的こころ」の小沢さんと、ずいぶん印象が違うもんだなあと思いつつ聞いていたのですが、よく考えれば、いつも早朝に就寝して、午後にならないと起きないらしい小沢さん、お昼過ぎなんて、普段ならまだ寝ているくらいの時間ですもんね。機嫌が悪いのも当たり前か。
というところで、一向に本題の末広亭のお話が進まないまま、この続きは、また明日のこころだァー!

新宿末廣亭
http://suehirotei.com

土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界
http://www.tbs.co.jp/radio/rokuchan/

投稿者 hiraking : 06:30 PM | コメント (0)

June 26, 2005

小沢昭一的末廣亭 その3

長くなったので稿を改めます。
いったん話はそれるが、今回の末広亭への小沢さんの出演は、小沢さんと旧知の仲である、柳家小三冶師匠の勧めによるそう。
この末広亭6月下席夜の部の主任は、その小三冶さん。番組表を見ると、小沢さんはトリの二人前。例の「小沢昭一的こころ」で、確かこの順番のことを「尻三」という言い方があったと、小沢さん、言っていたっけ。
ところがこの日、実は小三冶師匠はお休みで、トリは柳家権太楼師匠が代演となっている。寄席に代演、休演は珍しくないことで、致し方なければ即ちやむを得ないのだけど、せっかくなので、小沢さんと小三冶さんの絡みなんてのも、期待したかったところかな。

小沢さん曰く、小三冶さんはどうしてお休みなのか。今日はその理由を徹底的に追求したい、というわけで、鬼のいぬ間のなんとやら、まずは小三冶さんについてのあれこれを。
小三冶さんは東京の大久保出身。お父さんは学校の先生で、ご自宅で書道を教えていたこともあるそうだけど、なんと小沢さんの奥さんも大久保に住んだことがあって、小三冶さんのお父さんに書道を習ったことがあるという奇縁。
それから、小三冶さんの結婚の際の意外なお噂もありましたが、まあ、これはここに書くのは控えておきましょう。案外、今風だったという、そういうことですが。
さて、小沢さんが若い頃の落語界の名人といえば、先代の桂文楽、そして古今亭志ん生。小沢さんは、舞台で文楽師匠の役を演じたこともあるそうで、実は持参の風呂敷包みの中身は、その時の桂文楽に扮した小沢さんの写真パネル。
小沢さんが文楽師を演じたのは、本人が亡くなった後だそうで、さっきの小三冶さんについてのお噂同様、やっぱり当人の前ではやりにくいということか。
持参の風呂敷包みをほどくのに、小沢さん、舞台袖のお囃子さんに言って、当時の文楽師匠の出囃子を弾いてもらう。登場のタイミングに合わせてご開陳。パネルを机の前に立てかけた。
小沢さんも小三冶師や入船亭船橋師達と句会を開いているが、当時、文楽、志ん生といった大看板がこぞって参加する川柳の会があったそうだ。
文楽師の死後、川柳のお師匠さんだった方(上野のお寺の住職と言っていたか)が、文楽師の句だけを集めた小さな句集を私家版で発行したのを、小沢さん今日は持参されていて、これは宝物なのだそう。
その句集から、文楽師匠の川柳をいくつか紹介。どういうわけか、やたらお妾さんの句が多い。そして最後に、正しい文言は定かじゃないけど、「鈴本の出番をお金儲けのためにこっそり抜いた」というような内容の句を紹介した。
鈴本は上野の鈴本演芸場、抜く、というのは、寄席の出番を休演すること。
つまり、今日、小三冶さんがお休みの理由は、今の句の中にヒントがある、というところでお時間。
小三冶さんから、小沢さんが出演するのならハーモニカを吹かなきゃと言われて、昨日、おとといはハーモニカをじっくり演奏したけど、今日は小三冶さんがいないから、ハーモニカはお休みにします。明日またたっぷりとお聞かせする、なんてことを小沢さんが言うと、会場から、えー、という残念そうな声。
それを聞いた小沢さん、ふところから小さなハーモニカを取り出し、「むすんでひらいて」を吹き始めた。
最後はハーモニカを演奏しながらの退場だったから、「また明日のこころだァー!」というようなセリフはなかったのでありますね。
いやー、小沢さんの出番、終わっちゃった。でもまだ番組は残っている。
ぼくも含めて、今日は小沢さん目当てで来ているお客さんも多いし、そんな人は、小沢さんが現れたところでクライマックスに達しているようなものだから、その後の人は、やりずらいんじゃないだろうか。さすがに途中で帰る人は、目に付かなかったように思うのだけど。
小沢さんのすぐ後は、俗曲の柳家紫文さんの出番。色物だから、まだよかったのかな。
続いてトリは、さっきも書いたけど、小三冶師匠の代演の柳家権太楼さん。
小三冶師匠は、今日は風邪をひいてお休みです、なんてトボケている。
最近行ってきたという大西洋クルーズの話、それから日韓関係の話などをまくらに、ネタは「代書屋」。
以上、駆け足になったところもあるけれど、小沢さん登場の末広亭レポートを終わります。この日は代演や出演順の変更もあったし、これは、もう一度出直しかな。

投稿者 hiraking : 02:53 AM | コメント (0)

小沢昭一的末廣亭 その2

小沢昭一さんが出演した末広亭の話の続き。
よく、盆と正月が一緒にやってきた、なんて言い方をするが、この日のお客さんの入りのスゴさは、もう、お正月とゴールデンウィークが一緒にやってきたんじゃないかっていうくらい。
というのも、どの噺家さんが言ってたか忘れたけど、寄席にお客さんがたくさんやってくるのは年に2回、正月とゴールデンウィークだそうで、今週は、平日だってのに、そんな連休並みの客入りだっていうから、やっぱり小沢昭一効果なのか。普段あまり寄席に来ない人に加えて、小沢さん目当てで来ている人もかなり多そうだ。

前回書いた、ぼくに席を勧めてくれた年配の女性も、そんな一人のよう。
中入りのとき、ぼくが例の「小沢昭一がめぐる寄席の世界」を売店で買ってくると、その方もすでに購入されていたようで、あなたもお買いになったの、という感じで声をかけてくださった。
その方、どうやら小沢さんが新劇の舞台で活躍されていたころからのファンらしく、なんと1960年代に小沢さんが参加していた劇団「俳優小劇場」の設立パーティー?の招待状をぼくに見せてくださり、さらに、1969年に刊行された小沢さんの初めての著書「私は河原乞食・考」の初版本も持参されていて、これは、機会があったら小沢さんからサインを貰おうというおつもりだったのかな。
これまで「小沢昭一的こころ」の小沢さんしか知らなかった、たかだか数ヶ月のにわか小沢マニアが、いっぱしのファンの顔をして隣に座ってるのが恥かしくなるくらい。
でも、その方から「まだ若いんだから、今のうちにいろいろ見ておかなきゃ」(意訳)なんて声をかけてもらえて、わが意を得たり!という思いがした(あと、まだ若い、と言われたのも嬉しかった。まあ、その方からすれば、ぼくなんて小僧ッ子でしょうが・・・)。
さあ、いよいよ、随談・小沢昭一。
舞台上には座布団と机(釈台って言い方はよくない、と「寄席の世界」の神田伯龍さんとの対談に出ていましたね)。
出囃子は、やっぱりそうか、「小沢昭一的こころ」でお馴染みの「明日のこころ」。
客席から万雷の拍手。ぼくも、隣の小沢ファン大先輩も、上体だけはスタンディング・オベーション。ちゃんと背筋を伸ばして手を叩きます。
小沢さんは和装、そして、手には風呂敷包みを持って登場。なんだろう。菓子箱より大きいが、厚みはない。
ぼくは、生の小沢昭一を見るのも初めてなら、目の前で喋るのを見るのも、もちろん初めて。ラジオよりは、かなりゆっくりした話し方。最初は、一瞬戸惑ったけど、こちらもだんだん慣れてくるし、小沢さんも喋りながら客席との間合いを計っている部分があるのかも知れない。やっぱり、声も口調も、まごうことなき小沢昭一だ。

投稿者 hiraking : 02:46 AM | コメント (0)

June 25, 2005

小沢昭一的末廣亭

いやー、こんなに末広亭にお客が入っているのなんて、初めて見た。
1階、2回の座席も桟敷席もいっぱいで、左右の通路に立ち見まで出ている。
かくいう私も、舞台向って左側の桟敷席の上がり口前に陣取って立ち見することにする。
ちょうどいいタイミングで、円丈さんの高座が始まる。

円丈は2代目だけど使ってるパソコンは19代目(だっけな)、8ビットのBASIC時代からパソコンを使ってるということで、ひとくさりパソコン話。
扇子の代わりということで懐からマウスを取り出す。しかも還暦になったから赤いマウス。マウスで蕎麦食ったり煙草吸ったりする。クリックで灰落とす。
ネタは「新・寿限無」。実は初めて聞いた。そうかそうか。バイオテクノロジーの先生に名前を付けてもらう話。
奇術、花島世津子。カードマジック。この人は寄席で何度か見たことあるかな。
落語、林家時蔵。先代正蔵=彦六師の弟子ということで、まくらで彦六話。しかし、声の震えるおじいちゃんこと彦六師のモノマネといえば、世間的には木久蔵師なのだが、この時蔵師も似ている。似ているというのは、木久蔵師のやる彦六師のモノマネに似ている。誰がやってもこうなるのか。
ネタは「犬の目」。ひょうひょうとして不思議な浮遊感。
このあたりで桟敷席の客がひとり帰る。周りの立ち見の客との間で、誰が座るか微妙な間合いになっていたとき、一番入り口近くに座っていた年配の女性が、「空いたからお掛けになったら」と、ぼくに声をかけてくれる。ご遠慮なく、ということで、座らせていただく。
落語、古今亭圓菊。ネタは「宮戸川」。
いいにくいのだが、独特の口調ということなのだろうけど、何を言っているのか聞き取るのに苦労する。年配者の多い客層には受けている。が、落語歴の浅いぼくには味わいがよく分からない。
中入り後、落語、柳家禽太夫。まくらのあたりは、先ほどのぼくを招き入れてくれた女性と少し雑談していたせいもあって、あまり集中できず。ネタは「風呂敷」。面白い。
大神楽曲芸、柳貴家小雪。演芸界のアイドル。そうか、この人か。実は初めて。
皿回し、鞠など。ヴィジュアルと芸との関係。結構、感心して見ました。
落語、柳家はん治。演題はわからないが、居酒屋の主人と客の会話。
この噺って、こないだ池袋で正蔵襲名の興行にいったとき、小朝さんがやってたのと同じだ。あのときは知らなかったから、小朝さんのオリジナルかと勝手に思っていたのだが、ひとつのネタになっているのか。
ただ、最近の音楽はよくわからない、昔の歌謡曲はよかった、とのくだりで、俎上に載せる最近の曲をどうするかでセンスが問われる。今さら「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」はないだろ。その点、小朝さんはスゴイ。
さあ、いよいよお待ちかね、小沢昭一大先生の出番だ!というところで、この続きは次回のこころだァー!

投稿者 hiraking : 08:11 AM | コメント (0)

June 24, 2005

新宿・末廣亭前から

ついに来た
投稿者 yhiraki : 06:14 PM | コメント (0)

June 19, 2005

小沢昭一がめぐる寄席の世界

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来週6月21日から小沢昭一さんが新宿末広亭の夜の部に出演されるということで、予習がてら買ってきた。
去年の12月に出た小沢さんと寄席演芸に造詣の深い12人との対談集。雑誌「論座」の連載をまとめたものだという。

寝る前にパラパラとめくっている程度だけど、ふと思ったのは、対談相手に小沢さんより年長の方が何人か混ざっていること。
いや、すごく失礼な話なんですが、小沢さんって、今年76でしょう。
お年のことはあまり言ってはいけないんでしょうけど、例の「小沢昭一的こころ」にしても、決していつまでも続くわけじゃないんだよなあ、と、ふと思ったりして。
すると、すぐに、いや、そんなことはない、小沢さんはいつまでもお元気だ!なんて自分の中で打ち消してみて、一瞬かなしくなる。
でも、小沢さんより年長の芸人さんがお元気で活躍されていて、この対談集の中でも、そうした先輩たちに対して、小沢さんは実に礼儀正しく、しかるべき敬意を払われているのがよくわかる。むろん、年少の人にも決してぞんざいな話し方はされない人だが。
小沢さんは、これまでの仕事で、数えられないくらいたくさんの、自分より年長の芸人さんの芸談を聞かれて、それをご自身の芸の肥やしとしてこられた方だと思う。
まだいっぱい、小沢さんが話を聞く相手がいるじゃないですか。そしてそんないい話を、これからもどんどん、ぼくらにも教えてください、なんてことを思った。
ちなみに、12人のうち、小沢さんより年長なのは、登場順に桂米朝、桂小金冶、神田伯龍の各師。
そういえば、この桂小金冶という人も、ぼくにとって、長い間よく分からない人だったんだ。小さい頃に見た「それは秘密です」が印象的で、その後はあんまり印象になくて。
桂っていう亭号がついているんだから、落語家さんなんだろうなと漠然と思っていたが、自分で落語をしばしば聞くようになって、寄席にも出てないようだし、どこかの協会に属しているということもないみたい。
よく、一時期テレビで売れっ子だったタレントさんが、あまりテレビに出なくなると、どこか体を壊したのかとか、亡くなったんじゃないかとか思われるという話があるでしょう。
失礼な話、ぼくもこの人はそうなのかなと思っていた。
本当に失礼しました。この対談を読んで、どういう人なのかがよくわかった。
「それは秘密です」なんかよりもずっと前、多分、ぼくらの親くらいの世代にはお馴染みのスターだったんだろうな。

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日日談笑―小沢昭一的人生

この本は先日、ブックオフでまとめて買ったうちの一冊。
同様に小沢さんの対談集だが、こちらのほうはテーマは寄席に限定されていない。
ところで、また見逃してシマッタなあ、という話になるが、この本にバルタバスという人と小沢さんとの対談が収録されている。
何者かと思うと、このバルタバスという人、「ジンガロ」という騎馬オペラの主宰者で、小沢さん、前にパリでこのショウを見て、一気に心酔したらしい。
「ジンガロ」って、ついこないだまで、木場公園の仮設劇場で公演してたやつじゃないか! 東京都現代美術館に行ったとき、なんだろうと思って壁の隙間から覗いたりしてたんだ。
これが小沢昭一大先生絶賛だったとは。
なかなかおいそれと見に行ける値段でもなかったようだが、これだけ小沢さんが誉めてるんだから、余程のことでしょう。やっぱり、見に行っておけばよかった、と言わせてください。

ジンガロ
http://www.zingaro.jp
(小沢さんのメッセージも読めます)

投稿者 hiraking : 10:18 PM | コメント (0)

June 18, 2005

小沢昭一的マニア!〜小沢昭一大先生のあれこれについて考える〜

今週は、小沢昭一大先生のあれこれについて考えてまいりました。
と言ってもですね、前に申しましたように、私がにわかに小沢昭一マイブームになりましたのは、せいぜい今年の2月だか3月だか、といった頃からでありまして、昨日きょうの小沢マニアにしか過ぎないのでありますよ。
私など、広大無辺な小沢ワールドの入り口のあたりをまさぐっている程度なのでありまして、本当に気持ちがよくなってくるのはこれから、といったところでありましょうかな。って、何の話をしているんだか分からなくなってきましたが。

小沢さんの略歴を見ますと、2、3年程前に勲何等とかいう大層お偉い勲章をお受けになったこともあるそうで、ニュースを気をつけて見ていれば、そんな話も私の目に飛び込んできていたと思うのですが、不肖ワタクシ、全然、記憶に残っておりませんでした。
また、あれは去年のことでしたか、小沢さんの母校である早稲田大学より、確か芸術功労者という表彰を受けられたこともあったそうです。それと関係してか、ここ最近、小沢さん、早稲田で講演をなさったり、パネルディスカッションのパネラーとして参加されたりということもあったようで。
今の私なら、どう時間をやりくりして駆けつけるか頭を悩ますところですが、ま、今を昔になすよしもがな、というところでありましょうかな。
チャンスを逸したということでいいますと、これはもう10年以上前のことだそうですが、小沢さんは「芸能と社会」と題して放送大学の講師を務められていたそうです。放送大学客員教授というわけですな。
前にここで書いたこともありますが、実は私、去年から放送大学の選科履修生として、ま、半年に三科目ずつ程度ですが、ひそかにお勉強しているんです。
もしこの科目、まだやってたらぜひ履修したいところですが、だって、小沢さんに試験の採点やレポートのチェックをしてもらえるんですよ。多分ね。
小沢さんの放送授業のテープ、学習センターにまだ残っているのかなあ。今度聞いてみたいと思います。
まあ、過ぎたことをあれこれ惜しんでも仕方がありませんので、これからのことを言いますと、これは「小沢昭一的こころ」でもご自身宣伝されていましたが、来る6月21日から10日間、新宿末広亭の下席夜の部に、小沢さんが出演されるそうです。
といっても、落語を披露されるわけではなく、昔見聞きした芸人さんの話などをされるそうですが、小沢さんは戦前の少年時代からの筋金入りの寄席演芸ファンですからね。どんなお話が伺えることでしょうか。
私も、さすがに10日間毎日とは行きませんが、1日、2日くらいは都合つけて末広亭に行ってみようと思います。
話によると、例の「タイガー&ドラゴン」というドラマ、実は私、結局1回も見ないで終わってしまったんですが、というのは、別に嫌ってたわけじゃなくて、そもそもテレビドラマというものをここ何年もまともに見ていない人なので、お許し願いたいんですが、このドラマのロケを末広亭でやっていたそうでありますね。
おかげで末広亭は結構な人気だそうで、私は新宿で一杯飲んで、ほろ酔い加減でがら空きの深夜寄席を冷やかすのが楽しみだったりするんですが、あれは先々月くらいのことでしたか、どんどんお客さんが入ってきて、開演前には全席満員になってるの。喜ばしいことなんでしょうが、少し複雑な気分でした。
だから、今回の末広亭もお客さんが入るんじゃないかなあ。トリは小三治師匠だしね。そういえば、小三治師匠は小さんを継がないんですね。話はそれましたが。。
さて、今週一週間の小沢昭一大先生についてのお噂、結局皆様のお役に立つようなお話にはなりませんでしたが、このあたりにさせていただきたいと思います。
この次はどういうお話を申し上げるか、私のほうは「小沢昭一的こころ」とは違いまして、全然なんにも考えていない。行き当たりばったりの考察でありますが、いずれにせよ、これからしばらくは小沢さんの話題(と口調)がちょくちょく顔を出すことになりそうででありまして、何とぞこれに懲りずにお付き合いを願っておきます。
それでは、また来週のこころまでェー!

早稲田大学芸術功労者
http://www.waseda.jp/rps/gaku/gaku2003/meiyo/geijutsu.html

新宿末広亭6月下席番組
http://www.suehirotei.com/prg/06shimo.html

落語好き、寄席に挑戦 俳優の小沢昭一(アサヒ・コム)
http://www.asahi.com/culture/theater/TKY200505300193.html

投稿者 hiraking : 12:02 PM | コメント (1)

April 23, 2005

池袋から

すごい行列だ
投稿者 yhiraki : 12:35 PM | コメント (0)