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December 30, 2004

部屋の窓から

雪は止んだ
投稿者 yhiraki : 02:37 PM | コメント (0) | 黒部通信

December 29, 2004

越後湯沢から

臨時のはくたか号は国鉄色。ナツカシー
投稿者 yhiraki : 03:46 PM | コメント (0)

拍子木を叩く

年が改まるからというわけでもないけど、またウェブログの名前を変えた。
どこかのブロードバンドサービスの広告を見ていて、そうか、hirakiとhikariってアナグラムなんだなあと思って。それだけのことなんだけど。
年末だし、漫然と思いついたことを書いていくことにする。
森下のある居酒屋で飲んでいた。

カウンターの隣の客が、ご主人と話すのを聞くでもなく聞いていると、この店を誰が継ぐ、継がないという話になった。
ご主人のお嬢さんが店を継ぐ気になっているのだという。
客が、息子さんはいらっしゃらないの、と聞くと、ご主人が答えて、息子は35歳のときに交通事故のケガがもとで亡くなったのだという。
初めて入った店なのに、いきなりエライ話聞いちゃったなあ。
やっぱり人生いろいろ、お店もいろいろである。
さすがに冬らしくなってきて、居酒屋に入っても、まず燗酒を頼むようになった。
秋口までは、何を差し置いてもまずビールの人だったのに。
高橋の魚三で中落ちとさんま焼きをアテにお酒を飲んだ帰り、山利喜の本店を覗いたら、ちょうどカウンター席が空いていたので、もう1、2杯飲んでいくことにした。
燗酒を頼んだら、すでに酔っ払っていたので銘柄は何だったかはっきり覚えていませんが、甘酸っぱくて、かつどこか燻したような風味もあって、さっきの魚三のお酒もいかにも大衆酒場らしくていいですが、これはこれでいいですねえとシミジミ思った。
だったら、いいお酒を買ってきて自分のうちでお燗をすればいいんですよね。
といいつつも、とっくりにお酒を移してやかんにお湯を沸かしてとっくりを入れて・・・という一連の所作がどうも面倒で、うちでは相変わらずビールばかり飲んでいる。
雑誌の記事か何かで、燗付器というのを見たことがあるような気がしたので、インターネットで調べてみると、「ミニかんすけ」という器械がそれらしい。
そうかそうか、これは今度買わなきゃなと思いつつ、散歩の達人12月号を手に取ると、表紙の写真がまさにその「ミニかんすけ」じゃないですか。商品名までは出ていないけど。
今月は、調子に乗ってホークスグッズをやたら買いすぎたので、カードの引き落しが一段落したら、口座残高と相談して買うかどうか考えることにします。
ホークスといえば、もうすっかりソフトバンクですが、って何だかよく分かりませんが、スポーツニュースでの「ソフトバンクの城島が・・・」という言い方も、いずれ慣れてくるのかなあ。どうしてもまだ違和感が先に立つけど。
そんなことを思いながらテレビを見ていると、ジャイアンツがユニホームを新しくしたというニュースになった。胸に「YOMIURI」って書いてあったのを外してYGマークにしたという。
ソフトバンクっていう親会社の社名がまだ耳慣れないなあと思っているところに、かたやジャイアンツは親会社の読売の名前をユニホームから外したという話を聞くと、急にジャイアンツが奥ゆかしく思えてくる。
ナベツネという人は、読売読売読売、という人だったような気がしますが、オーナーが代わったらおとなしくなったのか。
2、3週間程前か、土曜日の昼間、なんとなくうちでテレビを見ていた。
NHKの「百歳バンザイ!」という番組で、100いくつかのおじいさんで、拍子木を叩いて火の用心を唱えながら町内を回るのを毎日欠かしません、という人を紹介していた。
まあ、これだけ書くと、ただの微笑ましいおじいさん、というふうに読めるかもしれないけど、テレビを見ながら、ぼくはちょっと違うことを考えていた。
百歳にもなって、拍子木を叩いて町中を練り歩くのが生きがいだかやりがいだかなんて、その人の人生、それでいいのか。そんなことして100まで生きてても仕方ないんじゃないか。
いや、別に拍子木叩いて火の用心を唱えて回ることを貶めて言っているわけじゃないの。
その人、90いくつかのときから、世の中に役立つことをしようとか何とか思い立って、この火の用心巡回を始めたんだって。
それがね、例えば12歳で奉公に出てから90年間、火の用心一筋の人生です、というんだったら美しいなあと思うんだけど。
その人にも、会社に勤めて仕事に燃えた時期もあったし、家庭を営んで子供たちを育て上げた時期もあった。ではそういうのが全部終わったときに、自分の人生というのをどう考えればいいのか。さあ、そこで出てきたのが火の用心ということになると、その人のこれまでの人生一体何だったのかと思ったのだ。
男性の場合、会社や奥さんに精神的に依存することが多いように聞く。
26日の日経の「2度目のひとり暮らし」と題した記事で、定年後に奥さんを亡くした男性が無気力にならずにひとりで生きていくためのコツとして、知的好奇心を保つことを挙げていた。
この記事から、知的好奇心を保つためのヒント、というのを引用する。
1 生活のリズムを守る
2 毎朝、必ず新聞を読む
3 ペースを決めて読書を続ける
4 思い出を文章にまとめる
5 とにかく、歩いて見て回る
6 予習と復習で芸術を堪能する
7 カルチャーセンターで趣味を広げる
8 もう一度、学校で学ぶ
9 語学検定や資格の取得に挑戦する
10 悲しみを率直に話し合う
一読してヒヤリとしたのだが、これって、今のぼく自身の状況とかなり重なっている。つまり、家庭もなく、会社に心身をすり減らすこともなく、生きているぼくが、意図的にしろ、そうでないにしろ、実践してきたことだ。
少し寂しいけれど、こうやってひとりで生きていくのか。
そう考えたとき、例の火の用心のおじいさんの姿が浮かび上がってきた。
だから、あんなふうにみっともなく90過ぎてから拍子木を叩き始めるんじゃない。今まさに、ここから、拍子木を叩き出せばいいんだ、そんなことを思った。
むろん、拍子木というのは比喩だけど。
寄席に行ったときに落語会のチラシを何枚か抜いてきて、うちで見ていた。
柳家花緑さんの独演会のチラシで、花緑さんが今年の自分の活動を振り返って文章にしたためていたのだけど、それを読むと、まあこの人、落語はするわピアノは弾くわ踊りは踊るわ芝居に出るわ映画にも出るわ、実に慌しくいろんなことをしているのだ。落語は、例の「六人の会」の活動もあるしね。その割に、一般のマスコミ的な認知度はどうなんだろ?という気もするが、とにかくこの、半ば呆れるほどの仕事ぶりには、改めて驚いた。
この人、ぼくと年はひとつくらいしか違わないのだ。
少し前になるけど、「東京かわら版」11月号の立川談春さんのインタビューも印象的だった。談春さんもまだ40前だったと思うけれど、何といえばいいか、死の意識、が談春さんの言葉の端々から伝わる。大師匠たちも死ぬんだ、志ん朝師匠も死んじゃったんだ、談志だっていつどうなるか分からない、だから今やらないでどうするんだ、そんな気迫に圧倒された。
こういう人たちは、今も拍子木を叩いているし、このまま死ぬまで叩き続けるのだろう。
ではぼくは、これから何ができるのだろう?
そんなことを自問しつつ、また来年。

投稿者 hiraking : 11:36 AM | コメント (0)

December 25, 2004

一夜明けて

そうかそうかそうなったか・・・。
福岡ソフトバンクホークス。
まあ、きのう聞いたばかりで、まだ耳慣れないのは仕方ない。
新しいブランドネームをつける可能性もあるように聞いていたので、とんでもないヘンテコな名前を付けられたらどうしようという不安もあったのだが、結果、直球勝負といおうか、特にひねりもないかわりに、妙な気恥ずかしさもない球団名となった。

孫社長の記者会見の中で、ソフトバンクグループ統一のブランドネームを新たに設けるという考えもあったが、ブロードバンドでも、これから開始する予定の携帯電話事業でも、大事なのはインフラよりも、その中を流通するソフトウェアやコンテンツを数多く提供すること、すなわちソフトバンクという名前がやはりふさわしい、創業の精神に立ち返るという意味でも、ソフトバンクの名前を大切にしていく、というような発言(かなり意訳)があったのは、いろんな会社の社是とか経営理念好きの私にとっては、印象的で、好感のもてることであった。
孫さん自らの言葉をちゃんと聞いたのは(もちろんインターネット経由だけど)これが初めてだと思うけれど、やはり創業社長特有の雰囲気というか、ある種のにおいを感じる。それ自体は悪くない。
前も言ったように、ソフトバンクのビジネスにはどうかなあという思いもあるのだけど(やはり本業で利益を出してナンボだと思うので)、まあそれは、地価頼みに規模を急拡大させたダイエーも同じ。中内功さんが戦後最大の成功経営者であると同時に、最大の失敗経営者であるように(先月ぐらいの文藝春秋の座談会で確か佐野眞一さんがそんなことを言っていたと記憶するが)、孫さんもそういう気概をもってがんばってください(って、私がいうのもかなり僭越だけど)。
しかし、読売新聞のサイトを見たら、いきなり「ソフトバンクの川崎、新垣が保留」か。なんだか違和感あるなあ。
来年はスポーツニュースでも、例えば「ソフトバンク対楽天は、ソフトバンクが勝ちました」とか言うようになるのか。うーむ。ある意味ナマナマしいぞ。
もう「ホークスの川崎、新垣」でいいと思うんだけどねえ。
今回、ソフトバンクが、「ホークス」という名前や応援歌、マスコットを残してくれたことで、孫社長を神扱いする人もいるようだが、確かにありがたいけれど、神というほどではないなあ。もし「福岡ホークス」にしていたら、神と言っていいと思うけど。
神というなら、これも前も言ったように、チーム名から敢然とオーナー企業の名前を外し、さらにその名前をそのまま受け入れた、マルハとTBSのほうが神度が高い。やっぱり孫さんは少し神が足りない(ごめんなさい)。まあ、これは孫さんだけの問題じゃなくて、やはりダイエーと共同責任でしょうけどね。
ぼくのアイディアとすれば、新しい球団名は、「福岡ホークス・サポーテッド・バイ・ソフトバンク」というのはどうかなあと思ってました。
長いでしょう。長いから、最後まで言うのは、例えば表彰式のようなオフィシャルな場面だけで、普段は略して、「福岡ホークス」と言うと。
Jリーグで言うと、「浦和レッドダイヤモンズ」なのに「浦和レッズ」と言ったり、「名古屋グランパスエイト」なのに「名古屋グランパス」と言ったりするようなもんですよ。ちょっと違いますかね。
ゆうべ、酔ったいきおいで、スポーツアイのサイトでまたFDHグッズをいくつも注文してしまった(eハリーズには一時休止で入れなかった)。年明けには、部屋の中がFDHグッズで埋まってしまうのか。

投稿者 hiraking : 11:58 AM | コメント (0)

December 24, 2004

最後のクリスマスプレゼント

ついに、その日がやってきた。
今日で福岡ダイエーホークスという球団もなくなってしまうのか。
新しい球団は、どんな名前になるのかなあ。
そんなことを考え出すと、気もそぞろで、仕事が手につかない(って、いつも手についていないじゃないかというご指摘もおありでしょうが)。

長い球団の歴史からすると、ほんの短い間のおつきあいだったけれど、どうもありがとう。
いや、お別れの言葉は、ちょっと早すぎるかな・・・。
いつもぼくは、何事も切羽詰まってから慌てだす人で、2、3日前、ホークスタウンのショッピングサイト「e-ハリーズ」を覗いたら、2005年福岡ダイエーホークスカレンダーが売り切れてしまっていた。
ちょっと待ってよ。2部ほど買おうと思っていたのに(もちろん、1部は実際に使用してもう1部は永久保存用)。
ふと思い出して、スポーツアイESPNのサイトのショッピングコーナーをチェックしたら、まだ販売中だったので、即座に2部注文した。その他、未購入だった応援歌CDなども一緒に。
こうなると、急激に今ホークスグッズを買っとかないとマズイという気分になってしまい、慌ててローソンに行ってHAWKS2004DVDを予約したり、もう一回e-ハリーズを覗いて、まだ売れ残っているFDHグッズをいくつか注文したりした。
明日25日は、朝8時から福岡ドームのショップ・ハリーズで、「福岡ダイエーホークス ありがとうセール」というのをやるらしい。FDHグッズが定価の20%〜70%オフだって?
ああ、行きたい。でも、そんな飛行機代があったら、オンライン販売でもっとたくさん買えばいいということに気づいて、福岡行きはあきらめることにした。
このセール、「『福岡ダイエーホークス』からの最後のクリスマスプレゼント」というキャッチフレーズが泣かせる。

これが最後のクリスマスプレゼント
http://www.hawkstown.com/infosys/fukuoka-dome/infoviewer.cgi?isfukuoka-dome_1103559077

投稿者 hiraking : 09:09 AM | コメント (0)

December 21, 2004

荒川暮色

きのうもちょっと書いたが、葛飾区の立石というところに行ってきた。
立石まで何しに行ってきたかというと、別段用事があったわけではなく、駅の近くの商店街を歩いて、立ち飲みでお酒を飲んだだけ。
こんなふうに、ただお酒を飲むためだけにお酒を飲みに行くという、無意味かつ無目的さが、いさぎよくていい、と思っている。

世の中、お酒を飲んだり飯を喰ったりするにも、やたら意味や目的のあることばかりで、息苦しいことこのうえない。特にこの時期になると。
そんな煩わしい世事から離れて、ぼんやりかつゆったりとお酒を飲むのが、本当の姿じゃないかと思うんだけど。
まあそれはともかくとして。
立石に向かう電車が、八広の駅を過ぎて、荒川を渡るとき、なんだかこんなところまで来ちゃったんだなあという、妙な感慨があった。
川向こう、なんて言葉があるけれど、川を一本渡るたびに、実際の距離以上に、心理的な距離がぐんと広がるような気がする。
墨田区の今の部屋に引っ越すまで、ぼくは、隅田川の向こう側に行ったことがなかった、と言い切るのは言い過ぎかもしれなくて、実際には何かのついでに通り過ぎたことはあっただろうけど、少なくともわざわざ駅から降りて街を歩くようなことは、あったとしても一度か二度くらいなものだろうと思う。
まあ、用がなければ行かないよね、普通。
それなのに、いつの間にか墨田区の都市開発に憤りをおぼえるくらい、ここが自分の街みたいに思うようになったのが、われながらおかしい。
さらに今度は、もう一本川を渡って、葛飾区まで来てしまった。
この葛飾区というのも、これまで行ったことなかった。多分。
葛飾柴又にも、行ったことがない。行けば行ったなんだろうけど。
そういえば、学生のとき、キャンパスが都心にある大学だったので、山手線の外側に出ること自体が、まずなかった。
それが、就職した会社の寮が町田にあって、さらに研修所が永山という多摩センターのひとつ前の駅だったから、研修期間の半年間は、町田と小田急永山を新百合ヶ丘経由で行ったり来たり。その後もしばらくは町田から都心に通っていたから、すっかり多摩の人になってしまった。
それまでは多摩地区の地理感覚なんて全然なくって、町田なんて東京のどこにあるのか考えたこともなかったのに、まあ、おかげで駅や路線の大体の位置関係がわかってきた。
今度は、それと同じような感覚が、東京の東側で起こっているということ。
もっとも、そこに川があるかないかで、心象的には、だいぶ違っている。
川を一本、また一本と越えて、お酒を飲みに行くというのが、ものがなしさがつのる。
といいつつ、そんな感傷にひたるのは鉄橋の上だけで、改札を出てお酒を飲み出せば、どこかに消えてしまうんですけどね。

投稿者 hiraking : 09:00 AM | コメント (0)

December 20, 2004

商店街と居酒屋の関係について考える

前回の「大多福」の話を読み返してみると、すっかり絶賛しているように見えるけれど、ひとつ留保しておかなければいけないのは、あのときぼくは、身銭を切っていない。
あれが自腹だったら、また違った目で見ていたかも知れない。
あのときは、3人でさんざん飲み食いして、全部で3万円少々かかった。ひとり1万円か。
むろん、1万円だから高いとか、2千円だから安いとか、そういうことではないので、いうまでもなくコストパフォーマンスの問題。

あれで1万円なら高くはないと思う。とはいえ、1年に1回か2回、例えば秋風が身にしみ出した頃などに行ければいいかな、という程度。それは、単にぼくがお金のない人だからという、それだけのことだけど。
もっとも、1万円出しておでんを食べるというのも、違和感がないでもない。
週末に、曳舟のたから通り商店街からキラキラ橘商店街、そして京成立石駅前の商店街をそぞろ歩いた。
キラキラ橘商店街を歩くのはもう何度目かだけど、頭の片隅に例のおでんの印象が残っていたせいか、やたら店先でおでんを煮ているのが目に付く。立石のほうでも、おでんがうまそうに煮えていた。
こんなふうに、庶民の気軽なお惣菜として、地元の人たちの生活に密着しているのが、おでんのもともとの姿なのだろう。
むろん、商店街には、おでんだけではなくて、焼鳥やらポテトサラダやらキムチやら、さまざまなお惣菜屋が軒を連ねている。
缶ビールやカップ酒を片手に商店街をひやかせば、居酒屋なんて行かなくてもいいんじゃないかと思うくらい。また、お惣菜屋を何軒か回って適当なおかずを集めてきて、そこでお酒を出したら、居酒屋になっちゃうんじゃないかとも思う。あるいは居酒屋のルーツというのはそういうところにあるのか。
事実、キラキラ橘商店街の入口近くには、やたらと居酒屋が多かった。曳舟についたのは3時過ぎだったから、まだ全然お店は開いていなかったけど(通りすがりのおばちゃんに、早すぎると笑われてしまった)。
今ぼくが住んでいる両国、錦糸町の界隈には、大きな商店街がない。
大通りに沿って、いくつか個人商店が並んでいるけれど、あれを商店街とは言いにくい。そのせいなのか、どうなのか、魅力的な居酒屋も少ないように思う。
このあたりで名高い居酒屋地帯というと、森下、高橋というところか。森下の駅の周辺にもいろいろお店があるし、のらくろーど、なんて名前がついた商店街もある(田川水泡が住んでいたらしい)。
うちの近所でも、北斎通りは、クルマもそんなに通らないし、歩道は広いし、もし商店街だったらいい感じになると思うのだが、昔っからの町工場が商売を畳んだあとに、どんどん新しいマンションが建ってきて、急速につまらない街並みになりつつある。
せめて、マンションでもいいから1階部分は何か商店にしてほしいんだけど、まあ、せいぜい入ってコンビニ程度なんだろうな。
でも、せっかく歩道が広いんだから、例えば屋台街にするなんてのはどうだろう。
江戸東京博物館から錦糸町までまっすぐ、通りの両側に赤提灯がずらっと並んでいるのなんて壮観だと思うが、墨田区役所、そして北斎通りまちづくり旗揚げ委員会の皆さん、いかがでしょうか。

投稿者 hiraking : 01:00 PM | コメント (0)

December 17, 2004

ピンチをチャンスに

浅草の「大多福」に連れて行ってもらった。
この店は2回目。1年半ぶりくらいか。
前回は奥のお座敷席に通されたけど、今回はさすがに時節柄、お座敷は満員。
そこでカウンター席に3人並んで陣取った。
でも、目の前でおでんが煮えるのを見ながら、えーっと、それとこれとこれ、なんてお好みで頼むのもいいですよね。

まずはビールで乾杯。なんだか突き出しの和え物が不思議においしい。
おでんに行く前に、それぞれ生牡蠣だの牛筋煮だのお刺身だのを頼んで食べる。
この牛筋煮も、隣の人が頼んだのを分けてもらったら、ちょっと甘めの味付けだけど、やわらかくておいしい。白髪葱もたっぷり。大衆居酒屋の牛煮込みとはまた違うおいしさ。
さて、おでん。何を食べたかと書き出すのも面倒なくらい、たくさんいただいた。
ひと皿に3品ずつ頼んで、4回お代わりした(もっとしたかな)。
普段は外でおでんは滅多に食べないけど、もともとの東京風のおでんって、こういう味付けなんだろうか。この前、四谷の「あさま」で食べたおでんは、もっと薄味でちょっとお上品でしたね。
連れてってくれた人が、ぜんまいを頼んでるから、ぼくも真似したら、結構よかった。あんまりおでんの具って感じじゃないけど、そういえば、しめじなんてのも鍋の上に浮かんでいた。どっちもちょっと田舎っぽいけど、まあぼくも田舎者だから、こういうのもいいのです。
もうひとりの浅草生まれという人は、すじなんか食べていた。東京のおでんのすじって、練り物みたいなやつでしょう。やっぱり東京の人は、こういうのを食べるのかな。
最後にお茶漬けとお新香をいただいて、お腹いっぱい。
今回気がついたこと。
若い店員さんがテキパキと働いている。カウンターのおねえさんの対応がいい。少し先までお客さんの気持ちを読んで仕事をしているように見える。
焼酎をお湯割りで飲もうとしたら、ポットのお湯が少しぬるかった。そのことをおねえさんに言ったら、すぐに厨房に頼んでくれて、程なく新しいポットを出してくれた。
言葉にするとそれだけだが、その一連の対応がスムーズで、見ていて気持ちいいくらい。ゆえに、こちらにストレスが溜まらない。
ぼくがこういうことを言うのは僭越だけれど、店員さんの教育がしっかりしているんだなあと感心した。
最近、どこかの経営者(誰か忘れた)も言っていたけれど、クレームを言われているうちが花だと。クレームも言われなくなったら、お客から見放されたってことだから。
まさに、クレームにはすぐとんでいけ、ピンチをチャンスに、っていうことですかね。ナントカ語録みたいだけど。

投稿者 hiraking : 12:57 PM | コメント (0)

December 16, 2004

オレンジ色の灯火

ここ1ヶ月ほどバタバタしていたもので、月刊ホークスの12月号も手にしていない。
大きな本屋に行けばまだ置いてあるだろうか。
しかし、来年から月刊ホークスの発行元もソフトバンク・パブリッシングになってしまうのだろうか? そんなことを考え出すと切りがないのだが、やはり心は千千に乱れる。

理想論はともかくとして、今の日本のプロ野球ではどうしても親会社の存在を無視するわけにはいかないのだから、むしろ積極的にその意味を考慮する見方もあるのではないかと思う。
特にホークスファンというわけではなくても、ダイエー店内で流れるホークスの応援歌「いざゆけ若鷹軍団」を耳にされたことのある方は多いのではないだろうか。
一部報道によれば、来季もこの応援歌が存続される方向で検討されているらしい。
もっとも、歌詞の中の「われらの われらの ダイエーホークス」、この「ダイエー」の部分は何か別の言葉に置き換えられるのだろうが、さあ、また来年もこの応援歌をダイエー店内で耳にすることができるのか。
今、ぼくの手許に11月13日の日経夕刊からの切抜きがある。
作家の貴志祐介さんが、「オレンジ色の灯火」というタイトルで、甲子園球場、ひいてはダイエー甲子園店の近所に住む作家の目から、昨年の日本シリーズと95年の阪神大震災の記憶を交えて、ホークスとダイエーのことについて書いている。
今年になって、ホークスやダイエーについて書かれた文章はさんざん目にしたが、この貴志さんのコラムは、短いけれど印象に残った。
阪神大震災の際、中内功さんの指示でダイエーはいち早く店舗を開けたと聞く。なるほど、震災に遭われた地域の人たちのダイエーへの思いは、また特別なものがあるのだろう。
この文章を中内功さんが読んだら、我が意を得たりと思うんじゃないかな。
失礼ながら貴志さんの小説は読んだことがない。今度、本屋で探してみよう。
ともあれ、ホークスのバトンを引き継ぐソフトバンクにも、そしてこれから決まるだろうダイエーの支援企業にも、どうか過去の記憶を粗末にすることのないようにお願いしたい。

投稿者 hiraking : 05:51 PM | コメント (0)

December 15, 2004

16年間、ありがとう

月曜日で尾崎さんの個展の会期が終わった。
最終日も9時までワインを飲みながらおしゃべりをして、そこにいたみんなで記念写真を撮って、とりあえず月曜はそれでおしまい。
次の日の火曜から片付けに入ったのだけど、最初、作業に2日ほどかかるような話を聞いていたのに、なんだか予想以上に捗ったみたいで、その夜には元どおり、ガランとした空きスペースに戻ってしまっていた。

照明が落とされて、すっかり空っぽになった小屋の中に立つと、つい昨日まで、ここには尾崎さんの黄色い派手な作品がいくつも掛かっていて、スポットライトが煌々と点いていたのに、あっという間にキレイさっぱりなくなっちゃって。
この10日間余り、毎日毎晩このガラス張りの小屋に通い詰めているうちに、作品や尾崎さんたちのいる風景が当たり前みたいな気がし出していた。
屋根に作品を山積みにした尾崎さんのクルマが行くのを見送って、あーあ、これで終わっちゃったんだなあ。
またいつもの生活が始まるだけのことなのに。
しかし、ちょっとだけ、キュレーターの人のヨロコビみたいなことが分かったような気がした。
尾崎さんを見送ってから、いったんうちに帰って着替えて、両国のスポーツクラブに出かけた。
先月末から何かと忙しかったもので、このところジム通いはご無沙汰で、週に1回行ければいいくらい。
それじゃあ体がなまる一方ですからね、もう一度気を引き締めてペースを上げないと。
エアロバイクを漕ぎながら、ぼんやりとジムの中のテレビモニターを見ていたら、CSのスポーツアイESPNがかかっていて、たまたまホークスの2000年のパ・リーグ優勝の場面を放送していた。
ここでも何度か書いているけど、スポーツアイはシーズン中はホークスのホームゲームを完全中継してくれていて、オフになると過去の勝ちゲームや名場面を特集放送してくれる。
ここ1ヶ月くらいで、ホークスをめぐる状況も、バタバタと動いた。
そうした動きに、ぼくがいちいち反応しなかったのは、未確定の情報や憶測記事に踊らされていたら切りがなかったということと、それから、やっぱり、この件に関して、ぼく自身の気持ちが揺れ動いて、どう整理をしたらいいか、よくわからなかった。
が、2000年の優勝の瞬間、そして王監督や選手達の笑顔を見ているうちに、ぼくの腹も、ようやく決まった。
福岡ダイエーホークスという、失われた球団のファンであり続けるということに、屈折した喜びを見出すなんて、ぼくに合っているんじゃないか。
ちょうど、昔の南海ホークスのファンで、球団が福岡に行ってからもずっとホークスを応援してきた人たちが、この16年間感じ続けてきたように。
むろん、そんな喜びは、曲がりなりにも球団が存続するがゆえのことなのだが。

rockwellさんのサイト「ウルトラ+ホークス」に、勝手にリンクを貼らせてもらいます。
ぜひ、トップページのテキストを読んでください。
ぼくもいつか、こんなことを言えたらいいと思う。
http://www.ultrahawks.com

投稿者 hiraking : 01:11 PM | コメント (0)

December 10, 2004

ただいま開催中

ただいま例の尾崎さんの展覧会を開催中なわけですが、いちおう私も言いだしっぺとして、仕事が終わったら会場に行くようにしています。
といっても、まあ、そんなにお客さんがたくさん来るわけでもなく、事務所の中で尾崎さんや尾崎さんの奥さんやその友達の人たちと無駄話をしたりお菓子をつまんだりワインを飲んだりしつつ、毎晩9時まで時間を過ごしている次第です。
お祝いに自分で持ってきたワインを結局自分で全部飲んでしまうんだから世話ないですよね。
もっとも、尾崎さんはクルマで来てるからお酒飲めないんだけど。
そういうわけで更新も滞っておりますが、場つなぎに今回の展示の写真でもご覧ください。


外から見た会場


夜になるとこうなる


別の角度から


会場の中





作家の尾崎さん(かぶりものをしている人)

投稿者 hiraking : 09:00 AM | コメント (0) | 墨田通信

December 02, 2004

尾崎玄一郎個展 "FULL ORDER BAG"

日時:
2004年12月4日(土)-13日(月) 15:00-21:00
※ 12/4(土) 18:00より、ささやかなオープニングパーティーをいたします
会場:
YKK R&Dセンター YKKプラザ
東京都墨田区亀沢3-22-1 (地図)
TEL 03-5610-8040
・JR総武線両国駅東口徒歩17分
・都営地下鉄大江戸線両国駅A2出口徒歩8分

投稿者 hiraking : 06:41 PM | コメント (0) | 墨田通信

忙しかった理由

来年の正月にTBS系列で「星野仙一物語」というのを放送するらしい。
主役の星野仙一役がとんねるずの石橋貴明だそうだが、どうして京唄子じゃないのか。
まあそれはともかくとしてですね。
こういう書き出しで始めるのもどうかと思うが、この1週間余りかなりの多忙で、おかげで週末から風邪をひいてしまい、ようやく今朝くらいから復旧してきたかというところ。

<忙しかった理由その1>
今日、12月2日は、放送大学第2学期の通信指導問題の提出締め切り日であった。
レポートは2日に幕張の本部必着だから、12月1日に出しても届くとは思うけど、ある程度余裕をもって出そうと思うと、やっぱり30日には投函したい。
放送大学のことは前にも書いたが、この第2学期も選科履修生として受講を続けている。
放送大学で単位を認定してもらうためには、学期末に近くの学習センターに出向いて試験を受けるほかに、学期の途中でレポートを提出しなければならない。
たまたま第1学期に履修した3科目が3科目ともマークシート方式だったので、マークシートなら長年の勘と経験でどうにでもなるだろと高をくくっていたら、なんと今回は3科目中2科目が記述方式であった。うーむ。
放送大学の場合、一般の大学と違って他人からノートのコピーを回してもらうということができないので、全部自分で勉強しないといけない(当たり前だが)。
それでも、2学期目となって、だいたい自分なりの勉強の仕方をつかんできたように思う。
まず、教科書を読んで要点とおぼしき箇所をノートに書き写し、その後で放送講義を見て、講師が強調している点や教科書で触れられていなかったことをメモする。
最初にノートを作るのに1コマあたり1時間余りはかかる。放送講義は45分間だけど、途中でビデオを止めて発言をメモしたり、気になった箇所を巻き戻して見ることもあるから、やっぱり1時間以上かかる。だから、ちゃんと勉強しようと思うと、合わせて1コマあたり2時間から3時間は必要ということになる。
ぼくは今学期も3科目履修しているから、単純に計算しても、1週間に6時間から9時間は勉強していないといけない。
一コマあたりでいうと、学生時代より確実に時間をかけて勉強していると思う。本当に。
まあ実際には、普段そこまでマジメにやっているわけじゃないんですけどね。
学生がノートのコピーを手に入れたらそれだけで勉強したような気になるのと同じように、放送講義を録画しておいたら、それだけで勉強したような気になってしまう。
テレビ番組の録画は、たいていPCでキャプチャーしているのだけど、これも前に少し書いたが、10月の始め頃だったか、ハードディスクがクラッシュしてしまって、録画しておいた放送講義の何回分かが消えてしまった。
PCを再セットアップしてからも、設定がうまくいかなくて録画に失敗した回もある。
そういうときは、茗荷谷の近くにある文京学習センターに行って、視聴覚室で放送講義のビデオを見る。ちなみに館外への貸し出しはしていないから、その場で見るしかない。
レポートの締め切りが迫ってきたのに、案の定、ノートも満足に作っていない。
11月22日が計画年休だったので、4連休にして実家に帰ることにしていたから、その間にまとめてやればいいかなと思っていたが、結局、ほとんど手につかなかった。
東京に戻ってからも、急にお酒を飲みに行くことになったりして、予定が押してしまって全然時間が足りない。
ここだけの話、26日の金曜日は有給を取って、茗荷谷で朝から晩までお勉強をしていた。
わざわざ有給を取ってまで勉強するのは、正直、心苦しいのだけど、まあいいでしょう。許してください。有給残もまだいっぱいあるし。
ということで、中間のレポートをなんとか30日に投函することができた。
この1週間、昼間はふつうに仕事をして、夜は喫茶店やハンバーガー屋でみっちり勉強して、そのあとお酒を飲みに行くという、かなりハードスケジュールな日々を過ごした。
最後のお酒を飲むのが余計じゃないかと思われる向きもあるでしょうが、これは<忙しかった理由その2>と関係してくるのです。

投稿者 hiraking : 01:08 PM | コメント (0)