国立科学博物館の「縄文VS弥生」展を見てきました!
たまたま近所の図書館でこの特別展のポスターを目にしたんだけど、ポスターのビジュアルは縄文ちゃんと弥生ちゃん(いずれも仮称)の取っ組み合い!
脇に添えられたコピーは、縄文と弥生のガチンコ対決!そして考古学と人類学もガチンコ対決!
科博って前からこんなノリだったのか?
こういう分かりやすい対立構造を持ち出して、キャッチーなアイコンで目を引くなんて、まるで自民党の選挙戦術みたいですね!
ということで、まんまとそんな戦術に乗せられて、ノコノコ上野公園まで出かけてきました。

これがそのポスターだ(歴博サイトより)
展示室の中は親子連れでギッシリ!
夏休みももう終わりだしねー。それに、この特別展の会期も8月31日までだし。
だいたい小学校低学年くらいかな?それとその親。
しかしね。展示を食い入るように見つめる子供達の姿を見て、私も意を強くしましたよ。
というのは、嬉々として科学博物館にやってくる子供達がこんなにたくさんいるんだったら、日本の未来も捨てたもんじゃないぞ!ということです。
マジメな話になりますが、昨今の子供の教育をめぐる話題って、あんまりいい話出てこないじゃないですか。
学力低下とか。学級崩壊とか。
ゆとり教育は失敗だったから総合学習の時間を減らせなんていう議論。
それって総合学習を学校の中だけで考えてるからじゃんかよー。もっと博物館とか美術館とか社会教育施設を使えよ!
しばらく前に、ちょっと必要があって、ウェブでゆとり教育や総合学習をめぐる新聞記事をざっと検索したことがあったんだけど、ぼくの見た限り、現場の教師の負担が大きいとか大変だとか、そんな話ばっかりで、社会教育施設の活用に言及した記事は全然見当たらなかったぞ!
これは博物館側にも至らない点があるのだろうが、学校側に、学校教育はあくまで学校で先生がやるもんだという頭の固いところがあるんじゃないかと思ったぞ!
スイマセン。憤ってしまった。
縄文VS弥生展の話に戻ります。
今回の特別展のポイントは、最近の国立歴史民俗博物館の研究で、弥生時代の始期がこれまで考えられていたより500年ほどさかのぼるらしいということが分かったことです。
ええっとこれは、これまでも資料の年代測定では、炭素14という放射性同位元素の量を測定して調べていたんですが、従来の測定法では、かなり試料がたくさんないと正確な年代が測定できなかった。おにぎり一個分の大きさとか。
ところがそれが、新しい加速器を使った測定法では、耳かき一杯分くらいの試料で年代が測定できるようになったんだそうです。
それで、煮炊きに使っていた土器に付着していたおこげをちょこっと剥ぎ取って、測定してみたら、そのお米の収穫時期が、あれ、結構古いぞ、ということになったんだそうです。お分かりでしょうか。
この500年の差、って、たった500年か、というふうに思われるかも知れないけど、実はかなり大きい意味があるみたい。
要するに、縄文時代から弥生時代への遷移が、これまでは短い期間で急激に起こったように考えられていたのが、新しい研究成果をもとにした考えでは、ある程度時間をかけて起こったと考えられるようになった。
すると、弥生人のルーツを探るうえで、いくつかの学説があるのだけど、渡来人が縄文人を駆逐したのか、あるいは縄文人の形相が生活や社会の変化につれて変化していったのか、はたまた、もともとの縄文人と渡来人が交じり合っていったのか、そんな議論にも、この500年の差が、かなりの影響を与えるのだそうですよ。
あの、念のため言っておきますが、ここんとこ素人の聞きかじりなんで、正確を期したい人は、ちゃんとした資料を当たっておくように。
結論は、縄文ちゃんと弥生ちゃんのバトルも、最後は両者ハグしてクリーンに終了。
本当のガチンコ対決は、縄文ちゃんと弥生ちゃんとじゃなくて、考古学対人類学、文科系対理科系、それから同じ学問領域内の対決かな。そういえば遺跡の捏造なんて事件もありましたねー。学者の世界というのもドロドロしてますなあ。
縄文VS弥生(国立科学博物館)
http://www.kahaku.go.jp/jomonvsyayoi/index.html
おまけ:縄文人と弥生人の顔の比較(図録より) あなたはどっち?
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縄文顔
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弥生顔
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四角
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顔の形
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長円
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隆起
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眉間
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平坦
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高い
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鼻
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低い
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濃い
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眉・マツゲ・ヒゲ
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薄い
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大きく二重
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眼とまぶた
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小さく一重
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大きい
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耳タブ
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小さい
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小さい
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歯
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大きい
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大きく厚い
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唇
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小さく薄い
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原美術館の中庭に「KRUG×KUMA=∞」というのを見てきた。
クリュッグはフランスのシャンパンのメゾン。クマは建築家の隈研吾氏。
なんでもクリュッグ主催のパーティーに招かれた隈研吾氏が、微妙な温度の変化で味わいが変わるクリュッグのシャンパンに感銘を受けて、温度で形を変える建築を作ろうと思ったんだって。本当かいな。
建築といっても、そんなに大きくはない。高さ2.2m、直径3mのドーム型。
ちょうど人ひとりが通れるくらいの穴があいていて、よっこいしょと中に入ることができる。大きさや形は、かまくらをイメージしてもらえばよいだろうか。
もっとも、素材はまるで違う。
形状記憶合金とステンレスのワイヤーの骨組みに、白くて縮れた繊維の網がかぶさっている。繭というよりはスカスカ。キヌガサダケ、とも違うか。隈氏曰く、シャンパンの泡をイメージしたものだという。
この建築プロジェクトの売りは、骨組みに形状記憶合金を使っていることからお分かりのように、微妙な温度の変化で、建築自体の形が変わっていくこと。
今回の展示では、観客はアイスノンのような冷却材でできた大きな手袋(Cooling handと言っていた)を手にはめて、それで形状記憶合金部分を握ったり触れたりすることで、形の変化を体感することができる。
実際にぼくも手袋をつけて体験してみたのだが、形状記憶合金部分に手を近づけた瞬間、ワイヤーが手に吸い寄せられるように柔らかくなって、壁面が大きく湾曲する・・・。
正直言って、そんな劇的な動きはありませんでした。
当日暑かったこともあって、氷手袋でほんの一部を冷やした程度じゃ、あんまり効果が目に見えて分からないのね。
入口付近のコイル状のワイヤー、そこをしばらく握っていてください。で、しばらく(1分近くかな)握っていると、堅く縮こまっていたワイヤーがぐにゅーと広がるようになる。それを今度は、手袋を外して素手で握ってみると、手のひらの中でワイヤーがみるみる元の形に収縮していくのが分かる。おお。
が、言ってしまえば科学館の子供向けの体験展示だな。
使っている形状記憶合金も、合金の配合によって性質を変えることができるのか、それぞれ異なる温度で形状が戻る3種類の合金を使用しているそうだ。
でも、せっかくそうやって温度の特性を違わせても、この暑さじゃ、どっちみちすぐにあったまっちゃう。この手袋の冷却能力がもっと強力だったらよかったのかな。それだと体験者があぶなっかしいか。
人が触れることによって局所的に建物の形状を変化させるのが難しいんだったら、例えば、朝晩の時間の経過にともなう気温の変化で、全体の形を変えたりするのか。
というと、やっぱり、そういうこともないみたい。この熱帯夜じゃしょうがないですかね。それに、多少外気温が変わっても、その変化は緩慢なものだろうし。
あと、形状記憶合金というのは、ステンレスの10分の3から10分の1程度の強度しかないそうなのだけど、当初のプランでは、もっとたくさん形状記憶合金を使うつもりだったのが、それだと強度が足りなくて、骨組みにステンレスを多用せざるを得ないことになったのだという。それも、形の変化が目に見えにくかった理由のひとつかも知れない。
会場のビデオでスタッフのコメントが流れていたけど、構造体として成立させるということと、温度によって変形させるということは、どうしても矛盾する。
言ってみれば、そこが繊細さのゆえんでもあるのだろう。それに、もともとシャンパンの微妙な味わいの変化、とか言っているんだから、劇的な変形を期待するほうが間違いなのか。
というわけで、温度の微妙な変化による建築物の変形というのは、正直、ちょっと期待はずれだった。まず、そういうコンセプトがあって、それを現実の建築物として成立させるまでの試行錯誤の過程をビデオで見ることができたのは興味深かったけど。
ただ、この構造物、変形するしないはともかく、外から見て、単純に、綺麗だと思う。それに、実際に形が変わらなくても、変わりそうな繊細さをたたえている。
また、中から外を見ると、周りの景色が微妙にエフェクトがかかって見える。バナーに使った写真から、その一端を感じていただけるだろうか。
最後に、言い忘れてた。もうひとつ期待はずれだったのは、体験者にはクリュッグの一杯もサービスしてくれるのかと思って出かけたのに、そんなそぶりもありませんでした。飲ませろー!
KRUG×KUMA
http://www.krugxkuma.com