東京かわら版の6月号のインタビューは柳家喜多八師。
ついこのあいだ、ねぎし三平堂の落語会に行ったら、トリが喜多八師だったので、そのときの姿がほうふつとする。
実は、そのとき初めて師の落語を聞いたのだけど。
喜多八師の出番は仲入り後すぐ、というか、それがトリね。
まず、師の登場に先立って、座布団返しに現れたのは、なんと林家正蔵師だあ!
不意の登場に場内びっくり、そして拍手。
続いて現れた喜多八師、正蔵師が返した座布団をもう一回返し直す。
そして、スターにはかなわないね、とひとこと。
このひとこと。かわら版のインタビューに出てくる、そのままだね。
でもね、そういうぼやき口調で始まった師の落語に、いつのまにか引き込まれてしまった。
演目は「宿屋の仇討」。神奈川の旅籠で一夜を隣り部屋で過ごすことになった、上方見物帰りの神田の三人連れと、ゆうべの寝が足りないお侍さん。
このコントラストの演じ分け。そして、また喜多八師の声がいいんだね。
この一席で師の落語のファンになってしまいましたよ。ぜひもう一回聞いてみたいと思う。
結局、ぼくは喜多八師の術策(悪い意味ではなくね)にはまったのかな?ということは、後からかわら版のインタビューを読んで、そう思った。
このときの三平堂落語会の演目をおさらいしておく。
開口一番、林家ぼたん「近日息子」。よかった。ただ、この親の死(の予定)を触れまわる息子が、子どもっぽすぎるような気もする。普通はいくつくらいの設定なのだろう。女性の声だと、どうしてもそう聞こえてしまうのか。
林家源平「愛宕山」。あのナマリじゃ、若旦那が若旦那に聞こえないよ。田舎くさくて。もっと粋なもんじゃないかと思うのだが。同じトーンでつっぱしる口調につきあっているうちに、だんだん、まぶたがくっついてくる。まくらに振った介護ヘルパーの話もどうでもいい。まして、自分の息子が慶応出で横浜市役所に勤めていていいとこのお嬢さんと結婚して、なんて話もまったくどうでもいい。
源平師の出番が終わったところで、今日の落語会に来たことを半分後悔しはじめた。
林家彦いち「不動坊」。死んだ講釈師の後家さんをもらう話。多分、この人の落語を聞くのも初めてじゃないかな。よかった。自分も源平師と同じで怖い顔系って言ってたけど、全然系統も違うし、愛嬌あるじゃないですか。動物に例えるなら、オオカミと熊かなあ。オオカミはどうころんだってオオカミだけど、熊は結構かわいいじゃん。
彦いち師の出番が終わったところで、だいぶ気を取り直しはじめた。
そして仲入り。ぼたんさんが着物から私服(という言い方でいいのだろうか?)に着替えて、アンケートの配布と回収。いや、ぼたんさんのジーンズ姿、なんかいいです。わたくし、結構、ぐっと来ますよ。
そうこうしているところで、ぼたんさんと並んで、え?林家錦平師の登場だあ!これにはまさにびっくりだ!
全然出番にも入ってないし、ここで錦平師の姿を拝めるとは。このブログを検索してもらえればお分かりですけど、私、錦平師好きですから。しかも、6月に鈴本で種平師との二人会があるって?今日、チケットが出来上がってきましたって?聞き逃せませんぞ。
錦平さんが出てきて、しかも6月の会の情報を聞けただけで、今日の木戸銭の元は取れたと思った。
その仲入り後に、正蔵師がひらりと出てくるんだから、このあたりの私の興奮は推して知るべきでしょう。
相変わらず小沢昭一のことばかり考えている。
てゆうか、こんな書き出しはマズイだろ、いくらなんでも。
そう思いつつも、実際、それに近い状態なので、どうしようもない。
新宿駅のホームで電車を待っていたら、不意に、
「小沢昭一の小沢昭一的ロココ」
というフレーズが頭の中に浮かんできた。
うーむ、このネタ使えるぞ(って、一体どこに使うんだよ)。
うちに帰ってから、念のため、先に考えついている人がいないか検索してみると、なーんだ、2ちゃんねるの何かのスレッドらしいページがヒットするぞ。
残念。まあいいか。
今年も大銀座落語祭の企画で、小沢さんが出演する会があるという。
去年は、この落語祭に小沢さんが出演されるということを、うっかり見落としてしまっていたのだ。
今回のチケットの一般発売は27日からだが、月曜日から先行発売があるというので、昼休みに職場を抜け出して、近所のサンクスで聞いてみることにした。
すると、その時点で既に残席僅少。なんとか買えたチケットは、2階の後ろのほうの席。こんな調子じゃ、一般発売に回る分なんてあるんだろうか。
ともあれ、約1年ぶりに、生の小沢さんを見ることができそうで嬉しい。
去年、末廣亭に小沢さんが出演されたときの大入りぶりにも驚いたけど、要するに、小沢さんを見たいという人がそれだけたくさんいるということだよね。
やっぱりみんな、今見ておかないと、その次はないかもしれないぞ、と思っているんでしょうかね。って、失礼。
でもね、いつか、自分がもっとジジイになったとき、演芸好きの若いヤツに、「小沢昭一に間に合った!」って自慢してやるんだ。団菊ジジイならぬ、昭一ジジイ。
そんな未来が来ればいいんだけど。
まあ、今日の話はこれくらいにして。
また明日のロココだー!
間違えた。こころだー!
少し前の話になるけれど、恵比寿の写真美術館でやっていた「恋よりどきどき」展は、結構ショックだった。
というのは、そこに出展していたコンテンポラリー・ダンスの集団のことを、ぼくはまったく知らなかったから。
いや、単に、今、自分が知らないということなら、これから知っていけばいいわけで、それ自体は別にショックでもなんでもない。
むしろ、ぼくが知らない人たちが、ものすごい集客力を持ってすでに何年も活動していた、という事実が、かなりショックだった。
まあ、もともとバレエやダンスなど、まともに見たこともないし、ろくろく知らないんだけど。
ただ、そういった、ろくろく知らないけどなんだか面白そうだ、ということを見つけるアンテナや、見つけたことに関心を持って追いかけていくエネルギーが、今の自分には薄れてしまったのかなあ、という悲しさがあった。もしこれが、学生のころの自分だったら、どうだったかと思う。
それ以降、美術館やギャラリーに置いてあるチラシで、コンテンポラリー・ダンス関係のイベントの情報を見ると、注意して読むようになった。なってはきたけどね、実際に公演を見に行くまでは、腰が軽くない。興味はあるんだが、って言ってるうちに、年も取るよ。いやはや。
ちょっと用事があって、西早稲田界隈に出かけたのだが、早稲田大学の演劇博物館でコンドルズの展示をしているというので、ついでに見ていくことにした。
コンドルズは、先日の「恋よりどきどき」展でインスタレーションを出展していたダンス・カンパニーのひとつで、やはり、その展示を見るまで、何者でどんな活動をしている人たちなのか、まったく知らなかった。
が、1996年の結成以来、全国、そして世界を股にかけて活動し、東京でもシアターアプルや東京グローブ座といった劇場で公演を行っているという。
また、コンドルズの公演は、笑いの要素が強いらしい。その点でも、学生時代には、かなりマメにお笑いの舞台に足を運んでいたはずのぼくが、彼らを見落としていたのはショックだった。
さて、実は、これも恥かしいことなのだが、早稲田の演博というのも、今まで一度も入ったことがない。
学生時代のぼくは、お笑い的なものならともかく、ストレートな演劇にはほとんど関心がなかったし、周りに演劇好きの人間もいたのだが、結局、建物の中に入る機会を逸したまま、ずるずると年を重ねてしまった。まあ、今さら言っても仕方がない。
ただ、演博に関することで悔しいのは、また小沢昭一さんの話になるけれど、小沢さんが2年前に早稲田大学の芸術功労者として表彰されたとき、演博で小沢さん関係の展示があったり、記念の講演があったりしたそうだ。
今にすれば、これは是非行きたかったなと思う。けれど、当時はまだ小沢昭一的マニアではなかったから(その程度の底の浅いマニアなのだ)、演博での展示のことなど、ぼくの目に留まる由もない。
そんなこんなで、今まで一度も入ったことがないから、こうなったら、この際、演博には金輪際入らないでおこうかと思ったこともあったけど、いい年をして無駄な意地を張っても仕方がないので(われながら大人になったなあ)、ここに至って、ついに演博のドアを開けることとなった。
コンドルズの展示は3階にあるというので、ほかの展示をひやかしたりしつつ階段を上がった。板張りの廊下がミシミシいって、静かな展示室内に響くのが気になる。が、こんな古い木の床を歩くのなんて、どれくらいぶりだろう。そういえば、ぼくの小学校は5年生のときまで木造で、歩くとやっぱりこんな感じだったな・・・などと、不意に頭の中がタイムスリップする。
この話の続き。
前回書いたようなことは、程度の差こそあれ、多くの人が経験しているのではないか、と思う。
ただし、ぼくの場合、その女の人のキャラクターのせいもあって、その人が電話に出る前と出た後の口振りの差が、余計に大きく見えた、いうことはある。
そしてもうひとつ、今にして思えば、当時のぼくは、商売で売り手の側に立ったことがなかったので、その人の態度の変化を、ただ奇異なものとしか認識できなかったのだろうと思う。
コンビニやファーストフードなどで、客商売のアルバイトの経験のある人なら、目の前の客に媚を売ったり、美辞麗句を弄したりということは、日常茶飯だろう。
そうであるなら、客とそうでない人とで、こちらの態度をガラリと変えることなど、さほど驚くことではない、と考える人も多いのかも知れない。
一方、ぼくは高校時代はもちろん、大学生になって東京で暮らすようになっても、ほとんどアルバイトの類はしたことがない。まったくゼロではないですけどね。でも、それは、運送屋の手伝いとか、事務所でパソコンに向って書類の作成とかで、いずれにしても、コンビニやファーストフードみたいに、一見の客に愛想をふりまくような商売ではない。
また、自分の身近を見ても、客商売でメシを食っている人というのがいなかった。
ぼくの田舎は、田園地帯に戦後になって大工場が建った、という土地柄で、小学校の同級生を思い浮かべてみても、だいたいみんな、その工場に勤める工員か農家、あるいは兼業農家の子どもばかり。近所には昔ながらのよろず屋ふうの商店が1、2軒あるだけで、買い物や外食には、とことん不便な土地だった。
が、それでもあまり生活に困らなかったのは、多分、昔の田舎って、あんまり貨幣経済が入ってないというか、要は、お金がなくてもそれなりに暮らしていけたんだね。
うちもそうだけれど、農家でなくても、たいていの家には小さな畑があって、自分のうちで食べる分くらいの野菜なら、そこでまかなえてしまう。また、自分ちで作ってないものも、よその家からもらえたりするんだね。うちにある野菜と物々交換したり、田植えを手伝って、秋にお米をもらったりとか。だから、お店で買ってこなきゃいけないのは、魚とか肉くらい。
しかも昔は、外食なんて滅多にしなかった。これは、うちが田舎で貧しかったということもあるけれど、都会でも高度成長期以前は、独身者は別として、食事は自宅でするのがほとんどだったんじゃないかな。例えば、サザエさんなんかを見てもそう。食事のシーンといえば、茶の間で一家揃って、というのばかりだし、デパートに出かけて食事や買い物をするのって、たまのイベント扱いでしょう。田舎と都会で程度の差はあったにしても、昔は、ハレの日とケの日の区別がはっきりしてたんだね。
ま、今となっては、ぼくの田舎にも、一面では都会とそう変わらないような消費生活が根付くようになった。街道沿いのスーパーやコンビニなどでアルバイトをしている人も多いことだろう。今の若い人たちにとって、当時のぼくのような商売についての不感症ぶりは、良くも悪くも、すでに過去のものになっているのかも知れない。
この話、もう少し続けよう。
腰が痛い。
たとえば、床とか低いところにある物を取ろうとするでしょう。
かがむと腰が痛い。だから、しゃがんで取る。
この感覚がわかるようになったら、おじさんの仲間入りではないかと。
連休に、実家の畑で耕運機を動かしたんだけど、いや、耕運機といっても家庭菜園用のごく小さなものですよ。自走式でもない。
ということは、前に進む速さを調節したり、耕す向きを変えたり、そういう動きひとつひとつに、ヘンな力をかけないといけない。
そんなことを繰り返しているうちに、腰をおかしくしてしまったようなのです。
いやはや。なんだかもう年ですかね。
畑ばかり耕していても気が滅入るので、気分転換に電車に飛び乗って、久しぶりに県立近代美術館に行ってきた。
ちょうど「20世紀美術の響き」と題した企画展をやっていて、これは、いわばコレクションの総棚ざらえ。2階の常設展示室だけじゃなく、いつもだったら巡回展なんかの会場になっている1階の展示室まで使って、全館丸ごと、収蔵作品を展示する企画。
最初、この展覧会のポスターを見て、これは「世界」「日本」「富山」という3つの視点のレベルを置いてみて、そこから20世紀美術を捉えなおそう、というような企画なのかな、ちょっと面白そうだなと思っていた。
が、実際には、そこに新しい視点の提示だとか、新鮮な驚きだとか、そういうのはあまり感じなかったなあ。
例えば、作品ひとつひとつに付されているキャプションに、作家名の上に必ず、「世界」「日本」「富山」のどれかが書いてあるのね。
でもなあ。「富山 瀧口修造」のとなりに「世界 マン・レイ」が展示してあるのを見ると、いいじゃん別に、そこまで無理矢理、富山とか世界に当てはめなくても、と思う。逆に「世界 瀧口修造」で「富山 マン・レイ」だったら、何だこれは?とか思うのだろうが。
実は「富山」が「世界」で、「世界」が「富山」だとか、あるいは「世界」も「日本」も「富山」ももうどうでもいいとか、そういうのがもっと見たいなあ。富山から。